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ジロ2016 チームNIPPOの挑戦<第4ステージ>チームカーでオランダから南イタリアへ2500km 福島監督の陸路27時間珍道中

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 ジロ・デ・イタリアにNIPPO・ヴィーニファンティーニの監督として参加している福島晋一さんのレポート、今回は第4ステージを前にした空前の大移動の顛末記です。メカニックの福井響さんは先行してトラックで移動していましたが、福島さんは第3ステージで使ったチームカーをレース後、陸路南イタリアまで運びました。

オランダ出発時にチームカーを運ぶ4人で記念撮影。福島監督(右端)の隣が今回のパートナー、フィリッポ ©NIPPO Vini Fantiniオランダ出発時にチームカーを運ぶ4人で記念撮影。福島監督(右端)の隣が今回のパートナー、フィリッポ ©NIPPO Vini Fantini

4人で2台 夜8時に移動開始

 オランダのステージ終了後、2300kmの車移動でいいか? とマンゾーニ監督から聞かれた時は二つ返事で承諾した。もちろん、大変な仕事だが、個人的にはローマ以南は行ったことがないので行ってみたかった。特に漫画『テルマエ・ロマエ』でも出てくるベスビオ火山を一目見てみたいという気持ちがあった。開けていない南イタリア。北の人間は行きたがらないというが、自分は開けていないところが好きなのだ。

 ただ、誤算もあった。まさか、不眠不休で直行しなければ間に合わないという所まで計算していなかったのだ。オランダのステージ終了後、まず全員でアムステルダムのスキポール空港の近くのホテルに移動する。空港は反対方向なので走行距離は200kmアップの2500kmとなる。

編集部注:2500kmという距離は、鹿児島から青森まで走り、さらに北海道の函館から稚内まで走ったくらいの長さ

 慌ただしく準備をした後、4人のスタッフは2人ずつのグループに分かれて、チームカー2台で出発した。メンバーはマッサージャーのフィリッポ、ヴァレリオ、整体師のトマッシーニと自分。ヴァレリオもこういう移動が初めてのようでスタート前に4人で記念撮影をする。時計はすでに午後8時を指していた。

 自分のパートナーはフィリッポ。若い23歳のマッサージャーだ。彼が行けるところまで行き、彼が眠くなったら替わるということで、自分は車の中で早めに寝させてもらうことにする。

スイスからイタリアへ。雪が残る Photo: Shinichi FUKUSHIMAスイスからイタリアへ。雪が残る Photo: Shinichi FUKUSHIMA

ボローニャで偶然に

 朝の4時。彼がついに力尽きたのはオランダからドイツを縦断して、スイスに入った時であった。フランスを通らずにドイツを抜けたのはそれが近い理由もあるが、高速代が無料なのとアウトバーンで飛ばせるというメリットもある。

 自分はスイスを抜けてイタリアのミラノの渋滞を抜けたところ、朝の10時にフィリッポと交替した。この朝の4時からの時間帯は非常に眠かった。若いフィリッポのノリのいい曲とは違って、自分はイタリア語の単語CDを聞きながらだったのでさらに眠くなったこともあるかもしれない。梅丹のCCC(サイクルチャージカフェイン入り)を重宝した。

スイスの機能的トイレ。日本では見たことのないデザイン Photo: Shinichi FUKUSHIMAスイスの機能的トイレ。日本では見たことのないデザイン Photo: Shinichi FUKUSHIMA
ミラノの渋滞を抜けていく Photo: Shinichi FUKUSHIMAミラノの渋滞を抜けていく Photo: Shinichi FUKUSHIMA

 ボローニャで急に車を交換することになり、一緒に来ていた車と別れて、車を換えている間ゆっくり昼食を食べなくてはならなかった。そこに偶然、窪木一茂(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)が現れた。ジロに参加していない所属日本人3人はボローニャに滞在してトレーニングしている。本当は会う予定ではなかったが、彼のオリンピックに向けたプログラムなどの話を簡単にして、選手の宿舎に忘れ物をとりに行って、ボローニャを出たのは夕方の5時近くだった。

 後発でツアー・オブ・ノルウェーに使うキャンピングカーをフランクフルトに停めに行っていたマンゾーニ監督にも抜かれて、自分たちが最後尾になってしまった。残り900km。

憧れのベスビオは闇の中

なんちゃってベスビオ火山。たくさん撮ったが、写らず! Photo: Shinichi FUKUSHIMAなんちゃってベスビオ火山。たくさん撮ったが、写らず! Photo: Shinichi FUKUSHIMA

 本来なら夜の8時に着く予定であったが、この時点で到着予定は朝の2時になっていた。ローマを迂回してナポリのそばを抜けるころは日はとっぷりと暮れていた。フィリッポが指差す左手のベスビオ火山のシルエットの写真をたくさん撮ったが、あとでベスビオ火山は右手に見えるはずであったことに気が付く。車の中で明日のコースを分析しながら行く。酔いそうになるたびに地図から目を離して深呼吸。

 つらかったのは夜の11時ごろ。残り400km。3度目のローテーションでフィリッポの速度が落ちてきた。完全に集中力が切れているのに、「まだいける!」というフィリッポに、「もう寝ろ、俺も早く着きたい」と無理矢理交替させて、ハンドルを握った。

これが監督という職業

 南イタリアの高速道路は途切れ途切れだ。工事を請け負った業者が横領して、工事をしないことがこの細切れの原因らしい。「開けていないところがいい」といったこともこの時は忘れている。

南イタリアの妙に明るいトンネル Photo: Shinichi FUKUSHIMA南イタリアの妙に明るいトンネル Photo: Shinichi FUKUSHIMA

 眠った後だったので酷い山道の迂回路を快調に飛ばしていたが、午前1時過ぎから猛烈に眠くなった。着いた後、明日のために寝なければならないから、カフェインをとるわけにもいかない。フィリッポは隣で気を失っている。最後の50kmは朦朧として走った。そして、ホテルに着き、部屋を見つけて入ったときは朝の3時になろうとしていた。

 翌朝、トマッシーニとお互いの無事生還を抱き合って確かめたが、マンゾーニは「そういえば、車で来たっけ?」とあっけらかんとしている。監督とはこういう職業である。

福島晋一福島晋一(ふくしま・しんいち)

1971年9月13日生まれ、大阪府出身。大学時代に競技を始め、フランスなどヨーロッパでキャリアを積みながら、2003年ブリヂストンアンカーでプロデビュー。ツール・ド・ランカウイ区間優勝やTT全日本選手権優勝などプロ通算成績25勝。選手時代の後半は、とくにアジアでの活躍が目立ち韓国やマレーシアのチーム立ち上げにキャプテンとして大きく貢献。世界中に幅広い人脈をもち、日本だけでなくアジアの若い選手から“お兄ちゃん”と慕われる。42歳で現役を引退し、JOC(日本オリンピック委員会)のスポーツ指導者海外研修として2年間フランスのコンチネンタルチームで監督修行を積み、2016年プロコンチネンタルチームのNIPPO・ヴィーニファンティーニと監督として契約した。ブログ「福島晋一の日輪り(ひまわり)日記

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