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砂田弓弦の風を追うファインダー<9>欧州での盗難被害は「盗まれる方が馬鹿」? 空港で人を見たら泥棒と思うべし

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 レース会場に行くとき、それから帰国するときなど、飛行機による移動も頻繁だ。今は世界のいろんな国々でレースが開かれるから、飛行機に乗る回数は増えるばかりだ。おかげで、スターアライアンス、ワンワールド、スカイチームといったアライアンスはすべて上級カードを持っている。

 一方、移動が増えるに連れ、トラブルも正比例で増える。特に、レースが立て込んでいると、チケットを確認する余裕すらなくなってくる。2004年のジロでは、一旦レースを引き上げてミラノに戻り、シドニーで行われるトラック・ワールドカップに向かった。ところが切符をちゃんと確認しなかったために2つあるミラノの空港を間違えてしまった。気づいたのは到着してからで、一瞬目の前が真っ暗になった。奇跡的に同じルフトハンザ便が間違えた空港からも出ており、わずかのペナルティを払うだけでよかった。

2002年のツール・デ・フランドル。優勝したのはアンドレア・ターフィで、パリ~ルーベのように狙って勝ったわけではなかったから、自身がいちばんうれしかった勝利だという。しかし、僕は携帯電話を空港に忘れてきてしまった Photo: Yuzuru SUNADA2002年のツール・デ・フランドル。優勝したのはアンドレア・ターフィで、パリ~ルーベのように狙って勝ったわけではなかったから、自身がいちばんうれしかった勝利だという。しかし、僕は携帯電話を空港に忘れてきてしまった Photo: Yuzuru SUNADA

ベルギーから追いかけてきた携帯電話

 2002年のツール・デ・フランドルが終わったあと、ゴールから電車に乗ってブリュッセルの空港に向かった。時間がなかったので大急ぎでチェックインし、走ってゲートに向かうと、ステファノ・ザニーニ(現アスタナ監督)がゆっくりと搭乗ゲートに向かって歩いていた。彼と僕とは向かう空港が同じなので、これで飛行機に乗れると安心した。

 このレースは、彼のチームメートであるアンドレア・ターフィが優勝しており、ザニーニは満足感に溢れていた。対照的に僕は汗だくになって飛行機に乗り込んだ。

 次の日、友人から固定電話に連絡があった。

 「おまえの撮ったターフィの写真が今日のラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト紙の1ページ目に出ていることを伝えようと携帯電話に連絡したら、ベルギーの警察官が出たんだ。お前のケータイ、警察に届いているよ」

 よく考えてみると、携帯電話をX線検査場に忘れてきてしまったのだ。自分の携帯に電話してベルギー警察に連絡をとったところ、イタリア行きの飛行機に乗せるので、ミラノの空港まで取りに行けと言われた。

 2013年、今度はパリにいったときに同じく携帯電話をを紛失。X線検査場にメールで問い合わせたら、やっぱりそこにあった。ところがフランスだからか、あるいは時代が変わったからか、飛行機に乗せてくれるといったようなサービスはなく、僕は泣く泣くミラノとパリを往復した。

 外国、しかも国をまたいでの置き忘れは大変なことになってしまうのだ。

モスクワ経由で散々な目に

 空港での盗難も数々ある。最初の経験はモスクワ空港だった。日本からミラノに向かうのにモスクワを経由し、そこで一泊する予定だった。ところが到着すると「今ホテルは改装中で部屋が少ないので、泊まれるのは女性と年寄りだけ。空港で過ごすように」と一方的に言われ、食券を一枚渡された。

 外は雪が積もっていてとても寒く、朝まで一睡もできなかった。しかも、食券を持ってレストランに行くと、従業員は世間話しているだけで、働く意欲がまったくなかった。まだソ連だった時代だ。そしてミラノで出てきた荷物は荒らされていて、中のものが盗まれていた。

 ロシアになった今も相変わらずひどく、テレビのクルーに聞くと、現在でも機材を持ち込むのに税関で賄賂を渡しているという。

2014年のブエルタ・ア・エスパーニャ。このスーツケースがロストバゲージとなり、数日後に手元に届いたときには、中の高級レンズとパソコンが抜かれていた Photo: Yuzuru SUNADA2014年のブエルタ・ア・エスパーニャ。このスーツケースがロストバゲージとなり、数日後に手元に届いたときには、中の高級レンズとパソコンが抜かれていた Photo: Yuzuru SUNADA

 2014年のブエルタでもショッキングな盗難があった。300mmの大きな望遠レンズをアメリカから個人輸入した保護ケースに入れ、これをさらにスーツケースに入れて東京→パリ→ミラノ→マドリード→ブエルタ・ア・エスパーニャのスタート地、ヘレス・デラフロンテラに向かった。ところが、パリに着いた時点でロストバゲージとなり、ヘレス・デラフロンテラにこの荷物が届いたのは数日後だった。

 驚いたことに、レンズやパソコンが抜かれていた。時間をかけて中の荷物を丁寧に調べたような形跡があり、空港の職員の仕業に違いなかった。しかし、いくつもの空港を経由しているだけに、どこでやられたのかはわからなかった。

 ちなみに、ミラノのリナーテ空港に着いたときにロストバゲージの部屋に入って自分のスーツケースがないか調べたが、そこにある数に驚いた。行方不明になるスーツケースがこんなに多いにもかかわらず、ハエが止まるようなイタリア式スピードで処理している。これは戦慄のシーンだった。

 新品の高級レンズを盗まれて意気消沈しながらスペインの警察に行くと、やる気のない書類作りだけで、捜査する気配は微塵もなかった。僕はこれまで数え切れないほど盗難にあっているが、ヨーロッパで盗難というのは、「運が悪い」「盗まれる方が馬鹿」くらいなもので、大した犯罪ではないのだと思う。

親切に声をかけてきた男

 2001年には撮影機材一式を盗まれている。アムステルゴールドレースで、イタリアのマッツォレーニがアームストロングやボーヘルトらと共に非常にいい走りをした。帰りのミラノまでの飛行機が同じで話をした。そしてマルペンサ空港に着いてガゼッタ紙を購入すると、案の定、彼のことが大きく掲載されていた。新聞の記事を夢中になって読んでいた。ふと顔を上げると、隣に置いていたカメラバッグが消えているではないか。

2001年のアムステルゴールドレースで好走するマッツォレーニ。彼と飛行機で話をし、そして空港で彼のことについて書かれている新聞を読んでいる間に機材一式を失う Photo: Yuzuru SUNADA2001年のアムステルゴールドレースで好走するマッツォレーニ。彼と飛行機で話をし、そして空港で彼のことについて書かれている新聞を読んでいる間に機材一式を失う Photo: Yuzuru SUNADA

 思わず大声で叫んでしまった。そのとき、小柄でメガネをかけた人物が「君は新聞を読んでいるから、きっとそれを買ったキオスクで忘れてきたんじゃないのか」と言った。気が動転している僕はキオスクまで走ったが、あるはずがなかった。だって、新聞を読んでいる間、自分の隣に置いておいたのだから。

 考えてみると、その男こそ犯人だったと思う。そいつはカバンを持っていたのだが、底の開いたカバンをカメラバックの上からかぶせて持ち運んだに違いなかった。

 すぐに空港内の警察に行って被害届を出したのだが、まだ午前中にもかかわらず、その日の盗難届が文字通り束になっていた。僕が警察に事情を話している間にも、女性が泣きながら盗まれたと言って入ってきた。

 撮影機材をほぼ一式盗まれた僕は、そのあとイタリアでマガジンハウスの仕事があった。編集とライターが日本から来たので、盗まれたものと同じだけの機材を持ってきてもらった。

 だけど、僕が使っていたのはひとつ前の世代のボディで、持ってきてくれたのは新型。いきなり使えと言われても要領を得ず、説明書を読んだりしながら、チポッリーニ宅訪問企画なんかをこなした。

 これとは関係ないけど、マルペンサ空港では荷物を取り扱う職員が集団で窃盗を繰り返していた事件があった。荷物の紛失が絶え間なかったことから不審に思った警察が隠しカメラを仕掛けて発覚したのだ。日本だったらトップニュースになるだろうが、イタリアではたくさんある事件のひとつに過ぎないのが報道ぶりを見てわかった。

 以降、空港に行くと、「人を見たら泥棒と思え」と自分に言い聞かせている。(続く)

砂田弓弦
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)

1961年9月7日、富山市生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、1989年から自転車競技の取材・撮影に携わる。世界のメジャーレースで、オートバイに乗っての撮影を許されている数少ないフォトグラファーの一人。多くの国のメディアに写真を提供しており、ヨーロッパの2大スポーツ新聞であるフランスのレキップ紙やイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙にも写真が掲載される

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