群馬グリフィン2年目へ快走若手を引っ張り、DJでも活躍 42歳のプロロードレーサー狩野智也インタビュー

日本最年長のプロロードレーサー、狩野智也は現在42歳。プロ生活17年目に突入し、7月には43歳を迎える。昨年、前橋を拠点とする地域密着型のJプロツアーチーム「群馬グリフィン」を立ち上げ、キャプテン兼本部長に就任。チームの運営、育成を手がける一方で、明るく朗らかな性格と巧みな話術を生かし、子供向け自転車スクールの講師、地元FMラジオへの出演、遠く離れた九州でのライドイベント参加など、スポーツサイクルのすそ野拡大にも尽力している。群馬グリフィン1年目の成果と今季の抱負、そして自転車にかける思いを聞いた。
金子の美浜3位に手ごたえ
――昨シーズン、群馬グリフィンの1年目はどうでしたか?
狩野:正直、なかなか難しいものがありました。ツール・ド・熊野とツール・ド・北海道に出て、チームの存在をアピールできたのは良かったですが、これだと言える成績が出せなかった。そんな中、金子大介が10月24日の美浜クリテリウムで3位に入り、チームのシーズン最高位を獲得したことには、手ごたえを感じました。最後まで諦めないで頑張ってくれました。
――チーム内で狩野選手自身の役割をどう考えていますか?
狩野:ステージレースでは、私自らがスプリントステージで、スプリント力がある金子や菅洋介のためにアシストの走りをしてサポートしました。それが結果に現れたのが美浜の金子の3位でした。
――その金子選手は土井雪広、佐野淳哉という全日本元王者も加入するマトリックスパワータグに移籍しました
狩野:それは誇りに思うし、僕らにとっていいことでもあります。若手選手たちには、身近な選手がそういう風に強くなって移籍することが目標になればいい。チーム設立1年目からそういう選手が出てきてくれたのはよかったこと。チームにとっては(戦力面では)マイナスだけれど、彼らのためになればいい。選手たちには「行くのなら、ヨーロッパまで行っちゃえ」と日頃から言っているんです。

――2年目のチーム陣容と目標は?
狩野:もう少しで発表します。メンバーは9人で大きくは変わりませんが、1年目以上に、化ける素材が揃います。UCI(国際自転車競技連合)コンチネンタルチームに登録する国内9チームの一角に入っているので、1つでも順位を上げて1番になれるようなチームにしたいですね。まだまだ選手が有名じゃないので1戦1戦、週替わりでもいいから活躍してくるヤツが出てきてポイントを稼いでほしいです。
絶対にやらないといけない自転車教室
――地元の群馬県に自転車で貢献できていますか?
狩野:僕は小学校4年生まで喘息で、5年生から自転車を始めました。前橋の自動車学校を朝だけ借りきって、自転車スクールのようなものが開かれていて、地元のハンドメイドフレーム「レミントン」のビルダー春日さん(故人)がいろいろと教えてくれました。スクールの監督が前橋育英の監督だったともあり(同校に)進学して本格的に競技を始める道が開けました。
そんな活動をしたいと思って始めた「ウィーラースクール in 前橋」は大盛況で、今年8回目を迎えることができました。それまでプロ選手は、そういう活動をしていなかったけれど、僕は絶対にやらないといけないと思いました。地元の子供たちが自転車に乗って笑顔を見せてくれるのはうれしいですね。未来に向けて自転車をやりたいっていう子が少しでも多く出てほしいと思います。

――地元で自転車レースが増えてきました
狩野:市民レースだった「まえばし赤城山ヒルクライムレース」が、今年からJプロツアーの1戦になりました。チーム名に「群馬」がつくからには、高崎だったり、桐生だったり、赤城山だったり、いろんなところでレースを開催していきたいですね。
DJでしゃべるのは「自転車の情報だけ」
――前橋ではラジオDJとしても活躍しているそうですね
狩野:DJも自転車の普及活動の一環で、冠番組を2つ担当しています。まえばしCITYエフエムの「群馬グリフィン上州ミソダーレ」(毎週火曜日17時15分~17時29分生放送)と、いせさきFMの「群馬グリフィンの Get Result」(毎週木曜日13時~14時)。どちらも自転車の情報だけをお伝えする、全国でも珍しい番組だと思います。
1月末の「上州ミソダーレ」では、1月に日本で開かれたアジア選手権で、前橋市出身の萩原麻由子選手がロードレース女子エリートで銅メダルを、また群馬グリフィンの倉林巧和選手がトラックの男子エリート・スクラッチで金メダルを取った話を紹介しました。
――DJとしてやりがいを感じるときは?
狩野:昔から話すのが好きなので、自分も楽しみながら、リスナーの人も楽しんでもらえればいいです。1時間番組ではオープニングでグリフィン情報、自転車界の最新ニュースなどを話して、途中に自転車の細かい知識を「狩野流」にかみくだいて一般の人に説明しています。ツール・ド・フランスを例にとると、「第1回目のチャンピオンは2回目も優勝したけど列車に乗って優勝をはく奪された」とか、リスナーの方が食いつきやすいエピソードを選ぶように心がけています。

――群馬だけでなく九州でも狩野選手は人気ですね
狩野:土橋陽一さんという、熊本で理容室を経営しながら「土橋塾」という自転車チームを主宰する方がいて、大分でレースなどがあるとサポートしてくれています。
――これから狩野選手が進んでいく先は?
狩野:競技歴28年、プロになって17年になります。長く走れるなら、走れるだけ頑りたいと思います。群馬グリフィンのGMとしては、チームをどんなに年月をかけても、大きくて良いチームにしていきたいですね。
<編集後記> 何でも教えてくれた同い年のスター

Cyclist編集部に1月中旬に入ったオールドルーキーの筆者が、昨年12月、初めて会ったプロ自転車選手が狩野選手だった。「九州Heaven Ride」というサイクリングイベントで、ゲスト参加していた狩野選手に声をかけていただいた。自転車メディアに転職すると話すと、「何でも教えますよ」と、本当に親切に教えてくれたので、最初のインタビューは狩野選手にしようと筆者は勝手に決めていた。
そのインタビューは、狩野選手らが主宰した「ウィーラースクール in 前橋」の日に実現した。筆者と同い年ということがわかり、人生で最初に観戦した自転車レースが同じ「スーパークリテリウム’87」だったことも発覚。記事以外の自転車トークで盛り上がり、1時間を予定していた取材は3時間に及んだ。(澤野健太)