日本の二大レースを作った男たちアメリカの盛り上がりを日本へ シクロクロス“仕掛け人”棈木亮二氏・矢野大介氏対談<前編>

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 「シクロクロス東京2016」の開催が2月13、14日に迫ってきた。今年で5回目を迎える都心の本格オフロード大会で、晩秋に開かれる「ラファ スーパークロス野辺山」とともにシクロクロスの国内二大レースとして定着している。2つの大会を創設した“仕掛け人”は、ともにサイクルウェアブランドを経営するライバル同志だが、互いに協力し合いシクロクロス界を盛り上げてきた。「東京」を手がけるチャンピオンシステムジャパンの棈木(あべき)亮二社長と、「野辺山」を育てたラファ・ジャパンの矢野大介代表。シクロクロス隆盛の立役者が顔を合わせ、大会にかける思いを語った。(聞き手 Cyclist編集長・上野嘉之、編集 後藤恭子)

チャンピオンシステムジャパンの棈木亮二社長(左)とラファ・ジャパンの矢野大介代表 Photo: Kenta SAWANOチャンピオンシステムジャパンの棈木亮二社長(左)とラファ・ジャパンの矢野大介代表 Photo: Kenta SAWANO

「野辺山」「東京」のルーツはアメリカ

──お二人がシクロクロスを始めたきっかけは?

矢野大介・ラファ・ジャパン代表 Photo: Kenta SAWANO矢野大介・ラファ・ジャパン代表 Photo: Kenta SAWANO

矢野:1998年の冬、当時勤めていた会社で山梨にいたとき、同僚に長野県原村のシクロクロスのイベントに誘われたことが最初です。それまでシクロクロスはなんとなく聞いたことがある程度で、そのとき僕はMTBで出場しました。楽しかったんですけど、ただレースの印象をほとんど覚えていないんです(笑)。

 その後、2000年に米国オレゴン州のポートランドへ転勤になり、そこで「クロスクルセード」というシクロクロスのレースを知りました。米国最大のシクロクロスのレースですが、当時は参加者も200~300人程度しか集まっていなくて。でも、そのイベントを見てシクロクロスが自分に合っていると感じ、それから乗り始めました。

棈木:僕は2009年に米国・ラスベガスで開催された自転車の国際見本市「インターバイク」を訪れたとき、シクロクロスのレース「クロスベガス」を目にしたことがきっかけです。もちろんシクロクロスの存在は知っていましたが、米国のショーレースを目の当たりにして、日本の自転車業界が遅れている部分が、米国ではこんなに進んでいるんだと衝撃を受けました。

──シクロクロスはベルギーを中心とする欧州が本場ですが、二人とも米国でスタートしたんですね。

オランダ・ホーガハイデで行なわれた2013-14シーズンのシクロクロス世界選手権。大観衆が選手達の死闘を見つめた =2014年2月2日 Photo: Sonoko TANAKAオランダ・ホーガハイデで行なわれた2013-14シーズンのシクロクロス世界選手権。大観衆が選手達の死闘を見つめた =2014年2月2日 Photo: Sonoko TANAKA

矢野:欧州が発祥であることは当然わかっていましたが、ベルギーやオランダではシクロクロスが文化として生活に溶け込んでいて、そのあり方はわれわれ日本人にとって完全に“異文化”なんです。それは100年という歴史の積み重ねによるもので、日本で取り入れ方を考えるうえで欧州のスタイルはあまり参考になりません。

 その点、米国は新しいものをビジネスにするのが上手で、人を呼ぶマーケティングや盛り上げ方が参考になる。そのまま日本でも適用できるし、われわれ個人のサイクリストも、その方が競技として受け入れやすかったと思います。

“ピン”ときた「野辺山」 ショーレースなら「東京」

──「ラファ スーパークロス野辺山」と「シクロクロス東京」は、いまや国内の2大レースとなりましたが、それぞれのイベントを立ち上げたきっかけを教えてください。

滝沢牧場内のコース Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015滝沢牧場内のコース Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015

矢野:2009年当時、僕自身その頃にはだいぶシクロクロスにはまっていて、一方で米国のレースにも出ていたので、日米双方のレースを選手・観客の両方の視点で見るようになりました。また当時は別の自転車関連メーカーに勤めていたので、業界の目線でも見えて、日本のシクロクロスの市場を全体的にバランスよく見られる環境にいたんです。

 そんななか、ラファ・ジャパンの立ち上げをきっかけに現在の野辺山高原に移り住み、近所の滝沢牧場へあいさつに訪れたとき、“ピン”ときたんです。ここでシクロクロスのイベントができるんじゃないかって。

 野辺山は、「自転車に乗るために最高の環境へオフィスを置きたい」と思って選んだ場所で、シクロクロスのイベントが念頭にあったわけではないのですが、なんとなく直感的に感じたんです。オーナーの滝沢さんと話をする中で、自転車のイベントもチャレンジしたいと伝えたら、滝沢さんが商工会の会長だったこともあって一気に話が進みました。

「ラファ スーパークロス野辺山」の会場は八ヶ岳連峰を望む滝沢牧場 Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015「ラファ スーパークロス野辺山」の会場は八ヶ岳連峰を望む滝沢牧場 Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015

──「シクロクロス東京」はいかがですか?

棈木亮二・チャンピオンシステム社長 Photo: Kenta SAWANO棈木亮二・チャンピオンシステム社長 Photo: Kenta SAWANO

棈木:僕自身、イベントを開催したりスポンサーになったりするなかで、自転車業界に対する違和感を常々感じていました。だからこそ「クロスベガス」は非常に衝撃的だった。米国人は資金作りがうまいし、組織作りもルール作りも素晴らしい。日本も早くこれをコピーしなくてはならないと思いました。

 競輪やトラック競技がそうですが、日本の自転車界は確立された考え方に縛られているのが現状です。その点、シクロクロスはそれほど業界も大きくないので、「この業界だったら変えることができて、それをモデルケースにスポーツとしてのあり方を変えられるんじゃないか」と思い、本業のビジネスとは別の話で挑戦したいと思ったんです。

──お台場を会場に選んだ理由は?

レインボーブリッジを背に走るエリック・トンキン(シクロクロス東京2014実行員会提供)レインボーブリッジを背に走るエリック・トンキン(シクロクロス東京2014実行員会提供)

棈木:矢野さんには言いにくいんですけど、「クロスベガス」を見て都会で開催しなければならないと思ったんです。アクセスが良く、気軽に見に来られるところが絶対条件でした。それでサイクルモードやトライアスロンの関係者に相談していくなかで、辿り着いた場所がお台場だったんです。

 一般的に、自転車イベントは参加型でないと成り立たないといわれていますが、僕は最初からショーレースのスタイルを貫きました。周囲から「最初は小さいスケールから始めて少しずつ大きくした方がいい」とアドバイスされましたが、「それだったらやる意味がない」と。

 最初から海外選手を招待したり、全国を回って選手の参加を呼び掛けたりして協力を募りました。何もかもゼロからのスタートでしたが、とにかくまずはショーレースとしての自転車イベントを仕掛けてみたかったんです。

シクロクロス東京2013シクロクロス東京2013

“基盤”づくりは成功

──近年のイベントの盛り上がりを主催者としてどう感じていますか?

野辺山シクロクロス2013 Photo: Kei Tsuji野辺山シクロクロス2013 Photo: Kei Tsuji

矢野:第1回の開催は国際レースにするための、いわゆる実績づくりでした。そのときの目標参加者数は500人。ちなみに当時、関西の一番大きなシクロクロスレースの参加者数が700人でした。

 結局、初回の参加者は350人と目標には達しませんでしたが、2回目につながる結果を出せたと思います。告知は成功していたので、出場を考えていた人は多かったと思うんです。そういう人たちに対して、「やっぱり行けばよかった」と思わせるかどうかが次の策。会場づくりにすごく力を入れましたし、ポートランドからモリー・キャメロン選手が自ら出場してくれたこともインパクトが大きかったと思います。

初開催となった2010年大会のワンシーン。ギャラリーの数も大会と共に成長した Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama初開催となった2010年大会のワンシーン。ギャラリーの数も大会と共に成長した Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama

 2回目以降、UCI(国際自転車競技連合)公認レースとなったことも影響して、参加者数は一気に倍増しました。シクロクロスに興味をもっている人たちに対して、正しいメッセージが届けられた結果だと思っています。そういう意味で、初回に参加してくれた350人の人たちはとても価値のある体験をしたと思うし、今でも感謝しています。

──2015年(第6回)の野辺山は観客も含めると約2000人と伺っています。参加者だけでも2日間で延べ1200人くらいだそうで、だいぶ規模が拡大しましたね。

矢野:そうですね。でも何より続けていて良かったと思うのは、野辺山をきっかけにシクロクロスの根強いファンになったという観客が増えていることです。あと、自転車に乗りたいと言い始める子どもたちが地元で増えている。やりがいを感じるのはそういう部分です。

たくさんの観客が詰めかけた Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015たくさんの観客が詰めかけた Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015
緊張した面持ちのキッズレーサーたち Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015緊張した面持ちのキッズレーサーたち Photo: Kei Tsuji / Rapha Super Cross Nobeyama2015

──シクロクロス東京はどうですか? 客観的には初回から成功しているように思えますが。

男子エリートのスタート前。招待選手がずらりと並んだ(シクロクロス東京2013)男子エリートのスタート前。招待選手がずらりと並んだ(シクロクロス東京2013)

棈木:スタート時、初回大会の参加者は300人ほどでした。もともと会場やコースのキャパシティはそんなに大きくはなかったので、参加者数はそれほど気にしていませんでした。それよりも僕は動員数の方が気になっていました。

 結果的に動員数は5000人ほどに達し、初回から大成功といわれました。が、自分としては物足りなくて、2年目からはテレビを取り込みました。2年目は1年目の評価が高かったのか、あるいは好天も影響したのか、初回をはるかに超える1万3000人の動員がありました。ただ、3年目は悪夢の…

一同:大雪(笑)。

大雪に見舞われたシクロクロス東京2014の初日大雪に見舞われたシクロクロス東京2014の初日

棈木:「次は2万人だな~」と意気込んで色々と仕込んだら、まさかの大雪に見舞われました。

大雪に見舞われたシクロクロス東京2014では、ラファのブースもこの通り大雪に見舞われたシクロクロス東京2014では、ラファのブースもこの通り

 午後になったら吹雪になって、やってる僕らは楽しかったんですけど(笑)。結局警報が発令されて、初日は中止となりました。でも翌日は天気が回復して、野辺山並みの雪景色で最高のロケーションになりました。ワールドカップ女王のケイティ・コンプトン選手も来日して、すごく盛り上がりましたね。

シクロクロス東京2014には、そのシーズンのワールドカップ女王、ケイティ・コンプトンもゲスト参戦したシクロクロス東京2014には、そのシーズンのワールドカップ女王、ケイティ・コンプトンもゲスト参戦した

 そしてその翌年は大雨…(苦笑)。途中までたくさんいた観客も一気にいなくなり、1万人を超えたかどうかというレベルになりました。

 まあ天候に左右される部分はありますが、動員ではだいぶ成功の手応えを感じています。収益事業化を含め、あと少しで本当のショーレースに到達できるのではないかと思っています。

→<後編>ソーシャルメディア時代にフィット

Cyclistの対談で、たっぷり2時間語り合ったチャンピオンシステムジャパンの棈木亮二社長(左)とラファ・ジャパンの矢野大介代表 Photo: Kenta SAWANOCyclistの対談で、たっぷり2時間語り合ったチャンピオンシステムジャパンの棈木亮二社長(左)とラファ・ジャパンの矢野大介代表 Photo: Kenta SAWANO

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