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砂田弓弦の風を追うファインダー<5>モト取材は「最高の場所」で「戦場」 車両のトラブルは数知れず…

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レースに随行できるモト取材

 僕がモト(オートバイ)を使って取材しているのは、ジロ・デ・イタリアは1993年から、ツール・ド・フランスは2005年からである。ただ、ツールにはオーガナイザーが持っているモトもあって、1993年から毎年1、2回は乗せてもらってはいた。

 多くのフォトグラファーはクルマに乗っていて、スタートで撮ると途中で1、2回撮ってゴールに向かう。当然、レースを追い抜くことはできないので、コースとは違う一般道を走ることになる。これではレースをリアルタイムで撮ることはできないので、効率はかなり悪い。

 その点、モトを使うと集団を追い越したり、選手に接近したりすることができるわけで、文字通りレースに随行することになる。当然、選手の動きを直接写真に収めることができるので、撮影の幅は一気に広がる。しかし、オーガナイザーからの許可を得る必要がある。とりわけグランツール(3大ステージレース)や、ミラノ~サンレモといったクラシックレースなどでは、UCIのルールに定められているフォトグラファー・モトの最大枠12台がほぼ埋まってしまう。

 たしかにモトに乗っての取材は、レース好きにとっては最高の場所である。選手の走りを間近で見られるのはもちろんだし、おのずと選手との親交も深まる。レース内では嫌でも顔を合わせることになるわけで、引退した選手とどこかでバッタリ出会ったりすると、それまで一度も話をしたことがなかったのに、まるで旧知の仲のように会話が弾むこともぜんぜん珍しくないのだ。同じ釜の飯を食ったというのか、プロのロードレースの世界に身を置いた仲間意識みたいなものがあるのだと思う。

2006年のジロで優勝したイヴァン・バッソと。取材の足としてモトに乗るが、結果的に選手と親交が深まることになる Photo: Yuzuru SUNADA2006年のジロで優勝したイヴァン・バッソと。取材の足としてモトに乗るが、結果的に選手と親交が深まることになる Photo: Yuzuru SUNADA

僕は「最前線中毒」

 レースのあの興奮もダイレクトに味わえる。とりわけ山岳ステージでモトの位置や動きを管理するオーガナイザーのレギュレーター・モトやチームカーとの”凌ぎ合い”の中で良い写真を撮ろうとするときは、外からは見えないけど、怒鳴り声やクラクション、ラジオツール(レース無線放送)からの厳しい指示などが飛び交い、ある種の戦いでもある。

 僕は食い扶持を手に入れるために自転車レースを撮っているけど、一方で、そうした現場に身を置きたいからというのも長年この仕事を続けるモチベーションになっている。この地球上で、100万円、いや1000万円を出しても味わえない興奮の現場だと思う。だからはっきりいって僕は「競走最前線中毒」になっているのだ。

 だけど、フォトグラファーのモトは事実上、既得権で、新参者がここに入る壁は限りなく厚い。たとえば僕はツールでモトの権利を得るまでに16年もかかった。それまでは多くのフォトグラファーと同様にクルマでレースを回っていた。

 さらに、モトの運転手に日当を払うのはもちろん、食事や宿泊費も負担しなくてはならない。たとえば僕がジロやツールで使うお金は、それぞれ国産の新車が1台ずつ買えるくらいだ。新車というのはブリヂストンやミヤタではなく、トヨタやニッサンの新車である。だから、それなりの売り上げがないと無理である。

 さらにオートバイが壊れることもあれば、運転手とうまくいかないことだってある。モトで撮影することによってメリットが生まれるが、同時に苦労やトラブルも増えるというわけだ。

地獄に仏

 オートバイの機械的故障は本当に数え切れないほどある。車軸のベアリングの消耗による故障はジロだけで3回あって、町中で修理屋と出会えれば幸運だが、そんなことは滅多になく、レッカー車を呼んだこともある。

 ツール・ド・フランスの名所モン・ヴァントゥでオーバーヒートして止まってしまったこともあったし、数年前のフレーシュ・ワロンヌでは観客と接触してミラーを落としたにもかかわらず、プロトンが迫ってきたのでそれを捨てて走り出した。

 2014年のティレーノ〜アドリアティコでは、レースが終わってホテルに向かっている途中にガソリンがなくなって、途方にくれたこともある。運転手がホテルの場所を勘違いして、燃料補給を怠ったのだ。

2014年のティレーノ~アドリアティコは、全7ステージ中、山岳の第4、第5ステージを制したアルベルト・コンタドールが総合優勝した Photo: Yuzuru SUNADA2014年のティレーノ~アドリアティコは、全7ステージ中、山岳の第4、第5ステージを制したアルベルト・コンタドールが総合優勝した Photo: Yuzuru SUNADA

 もう20年ほど前だろうか、ジロのステージとステージの間の移動のときだった。運転手が高速道路を走っていて、徐々にスピードを落とし、そして止まった。タイヤがパンクしたというのだ。当時はすでに携帯電話が出始めており、僕はたしか7、8万円出して買ったノキアを持っていた。それを使ってレッカー車を呼ぶと、いちばん近いタイヤ屋まで運んでくれた。しかし、土曜日でシャッターは閉まっていた。入り口に緊急時の連絡先が書いてあったので、店主のところに電話すると、休日ということで、にべもなく断られた。

 僕らは肩を落とした。そこでレッカー業者がもう一回電話してくれ、本当に心からお願いするような声を出したら、先方は「じゃあ今、若いのをそっちに送る」と約束してくれた。地獄に仏を見たようだった。

 まもなく、まじめそうな若者がやってきて、シャッターを開け、パンクを修理してくれた。支払いの段になって、彼の言葉が本当に信じられなかった。代金がわずか1000円台なのだ。休日に出てきてくれて、しかもこの値段は、間違っているのではないかと思ったほどだ。まだ物価が安かった古き良き時代のイタリアならではである。

ル・マンでパンクは“理想的”?

 2005年のツールではピレネーの山中でオートバイの後輪がパンクし、農家に飛び込んでトラクターに使うコンプレッサーを借りて空気を補充して走り続けた。

 しかし、だんだん空気が抜けてきてしまい、もうレースどころではなくなってしまった。そのとき本当にラッキーだったのだけど、偶然空いているガソリンスタンド兼タイヤ屋を見つけて直してもらった。平坦路の選手であるアメリカのヒンカピーがピレネーの山岳ステージで勝つという《事件》は撮り損ねたけど、走り続けることができる喜びの方が100倍大きかった。ヨーロッパの険しい山中でオートバイが止まってしまうと、最悪の場合、生命の危険だって考えられるのだ。

2011年のツール・ド・フランスで、スタート前に後輪に針金が刺さってパンク。ル・マンだったので修理屋はすぐに見つかり、問題なくスタートに間に合った Photo: Yuzuru SUNADA2011年のツール・ド・フランスで、スタート前に後輪に針金が刺さってパンク。ル・マンだったので修理屋はすぐに見つかり、問題なくスタートに間に合った Photo: Yuzuru SUNADA

 一方、2011年のツールでル・マンをスタートするステージがあって、オートバイの後輪に針金が突き刺さってパンク。しかし、そこはご存知モータースポーツの本場。スタートとなったサーキットの周りには修理屋が当たり前のようにあって、手際よく交換してくれた。同じパンクでも、ル・マンはパンク修理に理想的な場所だった。

 とにかく、レースを撮ったあとに夕方遅くまで写真を送り、ホテルに行ってさらに仕事して寝るというサイクルで手一杯なのに、突然モトの故障が起きると、もう大変なことになるのだ。(続く)

砂田弓弦
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)

1961年9月7日、富山市生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、1989年から自転車競技の取材・撮影に携わる。世界のメジャーレースで、オートバイに乗っての撮影を許されている数少ないフォトグラファーの一人。多くの国のメディアに写真を提供しており、ヨーロッパの2大スポーツ新聞であるフランスのレキップ紙やイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙にも写真が掲載される

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