サンケイスポーツ紙 連載よりヘルメットずれて後ろが見えず…取り損ねた特別競輪 井上茂徳氏『私の失敗』<4>

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 私は佐賀市で生まれ育ちました。子供のころから魚釣りが大好きで、自宅から10kmほど離れた海岸まで自転車で出かけ、泳ぎには自信がありました。釣りは、今でも大好きで暇を見つけては、よく出かけています。

<3>オールスター決勝1位入線も失格、ファンの無念さを知り反省

水泳部では県大会を“すっぽかし”

中野浩一氏(左)に先着して日本選手権を制覇。右は3着の亀川修一氏 =1983年3月22日、前橋競輪場(JKA提供)中野浩一氏(左)に先着して日本選手権を制覇。右は3着の亀川修一氏 =1983年3月22日、前橋競輪場(JKA提供)

 釣った魚を家でさばいていると、それを孫がマネするんです。粘土板をまな板代わりにして、包丁の代わりにテーブルナイフ。板の上の切り身はすごいことになっていくのですが、幸せを感じますね。子供は女→男→女→女で4人、孫は現在9人で、年明けに10人になります。にぎやかですよ。

 釣り用語で、狙っている本命以外の魚を『外道(げどう)』と言います。たとえばカサゴを釣っていてヒラメが釣れた場合、「うれしい外道」などと言って歓迎されたりします。私は中野浩一さんをかわしてずいぶんタイトルを獲りました(GI優勝9回のうち7回は中野氏が2着)。それもお客さんには喜ばれていたかもしれません。

 中学時代は水泳部に所属し、市の大会で3位に入賞したこともあります。その後に県大会に出場することになっていたのですが、市の代表になっているとも知らずに県大会に行かなかった。後日、学校の先生に怒られました(笑)。

 佐賀龍谷高時代は自転車競技に夢中になり、卒業後は中長距離種目で佐賀国体にも出場。1978年の3月に競輪学校を卒業し、4月にデビューしたときは“好きなことをやって稼げる”というのがうれしくて、やる気に満ちていました。

自信の“縫う走り” オールスターでまさかのミス

 競輪競走では、コース取りには自信がありました。障害物をかわしていくような“縫うような走り”は、私が一番上手だったと思っています。勝負どころで後方に置かれても巧みにコースをついて上位に突っ込み、3番手から中を割って失敗したこともほとんどありませんでした。

 それでも、大きなミスが一度だけあります。82年に高松競輪場で行われたオールスターです。レースの周回中、私が先頭誘導員のすぐ後ろを走り、ラインを組む緒方浩一さんが続き、高知の松村信定さんが競りかけてきました。南関東ラインの滝澤正光が仕掛けてきたので、私は(滝澤とラインを組む)吉井秀仁さんをどかして滝澤の番手に飛びつきました。そこまでは良かったのですが…。

引退セレモニー後、花束を手に3人のまな娘と笑顔で記念撮影 =1999年3月、静岡競輪場(JKA提供)引退セレモニー後、花束を手に3人のまな娘と笑顔で記念撮影 =1999年3月、静岡競輪場(JKA提供)

 普通はバックストレッチで後続の様子を確認しますが、吉井さんをブロックした拍子にヘルメットがずれて、後ろを見ることができない。ハンドルから手を離してヘルメットを元の位置に戻しました。そこへ群馬の新谷隆広がまくってきたので外に振ったら、今度は空いたインに吉井さんが潜り込んできた。いつのまにか息を吹き返していたんです。吉井さんに内から体当たりされ、さらに吉井さんの内側を抜けていった松村さんが優勝しました。

 あの一戦は本当にもったいなかった。ヘルメットがずれなければ、後ろを確認できていれば、内を空けていなければ、優勝できていたのに…。特別競輪(現在のGI級)を1つ取り損ねたのですから、悔しくてたまらなかった。あのミスはその後の選手生活で教訓となり、糧になりました。

福光俊介
井上 茂徳(いのうえ・しげのり)

1958(昭和33)年3月20日生まれ、57歳。佐賀県出身。78年に日本競輪学校41期生としてデビュー。81年の立川オールスター制覇を皮切りに、特別競輪(現GI)優勝は通算9回。グランプリ優勝は3回。88年に高松宮杯を制し、競輪界初のグランドスラム(特別競輪全冠)を達成した。99年3月に現役を引退。通算成績は1626戦653勝、優勝154回。生涯獲得賞金は15億6643万4532円。現在は競輪解説者として活躍している。

SANSPO.COMより)

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