共通言語は「自転車が好き」民族の“心の壁”乗り越え「絆」を感じたサイクリング 「両輪で走る新朝鮮通信使」随行記

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 室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団「朝鮮通信使」をご存じだろうか。当時、積極的に交流が行われ、両国の文化・学術・貿易の発展に多大な影響を与えたといわれている。その朝鮮通信使を記念するサイクリングイベント「両輪で走る新朝鮮通信使」(団長=柳仁村・元韓国文化体育観光部長官)が10月11日から11月1日にかけて開催された。韓国・ソウルをスタートし、かつての朝鮮通信使ゆかりの足跡を辿りながら東京都庁前広場にゴール。その全走行距離は1900kmという壮大な旅である。 <レポート:爆笑!茶利坊主団団長 茶利坊主(金子正夫)>

グループごとに隊列を組んで、いよいよ都庁のゴールに向かう Photo: Masao KANEKOグループごとに隊列を組んで、いよいよ都庁のゴールに向かう Photo: Masao KANEKO

 かつての朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で一時中断されたが、徳川家康時代に復活し、江戸期には交流が盛んだった。折しも今年は「日韓国交正常化50周年」という節目にあたり、その記念行事の一環として韓国外交部(外務省)と朝鮮日報社が共催、日本サイクリング協会と毎日新聞社が共同主管となって新朝鮮通信使が企画された。

韓国人6~7名を挟んで先頭と一番後ろに日本人が付く隊列で、この構成は3日間続き、コミュニケーションもバッチリ Photo: Masao KANEKO韓国人6~7名を挟んで先頭と一番後ろに日本人が付く隊列で、この構成は3日間続き、コミュニケーションもバッチリ Photo: Masao KANEKO

 現代版・朝鮮通信使の一行は韓国人25名・日本人25名で構成され、10月11日にソウルを出発。釜山まで自転車で走り、その後、対岸の対馬を経由して下関へ渡り、大阪、名古屋を経由して東京へと向かった。

 私は日本サイクリング協会から要請を受け、東京、愛知、関西在住の自転車仲間9人と共に「大阪~京都~彦根~名古屋」までのルートに参加した。

10月23日(金) 大阪市~京都市

 朝8時30分、快晴の中、新大阪の宿泊ホテルをバスで出発。自転車は随行のトラックに積んで運んだ。

淀川河川敷道路は韓国のサイクリングロードと似ているせいか、韓国隊員も軽やかに走っていた Photo: Masao KANEKO淀川河川敷道路は韓国のサイクリングロードと似ているせいか、韓国隊員も軽やかに走っていた Photo: Masao KANEKO

 南天満公園(大阪市北区)で自転車を降ろし、安全に走れる淀川河川敷ルートで京都へ向かう計画だ。実はこの日、サプライズな出来事があった。大阪で一行を先導する誘導員の都合が付かなくなり、前夜のミーティングで急きょ、われわれに先導ライダーのお役目がまわってきたのだ。関西の土地勘は全くないが、幸いにも関西在住の自転車仲間もおり、しかも河川敷ルート中心であることも幸いして、無事に勤めを果たすことができた。

 日韓6名ずつの構成でグループ分けして先導したのだが、何しろ韓国語はちんぷんかんぷん。中には少し日本語が話せる韓国人もいたが、片言の英語交じりでどうにか意味は通じたようである。

終始一糸乱れぬ一列走行にびっくり。韓国人は協調性に長けた国民性なんだと感じた Photo: Masao KANEKO終始一糸乱れぬ一列走行にびっくり。韓国人は協調性に長けた国民性なんだと感じた Photo: Masao KANEKO
誰かにアクシデントが発生すると全員そろって止まる。それにしても外見では日本人と韓国人の区別が全くつかない(笑) Photo: Masao KANEKO誰かにアクシデントが発生すると全員そろって止まる。それにしても外見では日本人と韓国人の区別が全くつかない(笑) Photo: Masao KANEKO
伏見桃山城。この城は通信使派遣直前、使命団が徳川家康に会って国交回復を論じた場所といわれる Photo: Masao KANEKO伏見桃山城。この城は通信使派遣直前、使命団が徳川家康に会って国交回復を論じた場所といわれる Photo: Masao KANEKO

 一緒に走って感じたことは、左側走行・一列走行の指示に従うマナーの良さと、危険な場所ではみな一斉に声を発する安全確保の徹底である。韓国内では総延長2000kmに及ぶサイクリングロードが整備されているらしく、自転車の集団走行にもかなり慣れているように感じた。

 この日は京都市内の御幸橋までのルートを自転車で走り、そこからはバス移動。途中、朝鮮通信使ゆかりの地「伏見桃山城」を見学し、京都市内の宿泊ホテルへ向かい、一日を終えた。

10月24日(土) 京都市~彦根市

道の駅「琵琶湖米プラザ」。さわやかな青空のもと弁当配送の応援団も加わって記念写真 Photo: Masao KANEKO道の駅「琵琶湖米プラザ」。さわやかな青空のもと弁当配送の応援団も加わって記念写真 Photo: Masao KANEKO

 朝9時、分散宿泊したホテルから各自バスに乗り込み、一行はまず伏見稲荷神社を参拝した。その後、琵琶湖大橋近くの「道の駅びわ湖大橋米プラザ」で昼食をとり、琵琶湖の湖岸を走った。

 このルートでは平均勾配7%のアップダウンが続き、高齢の参加者にはかなりのダメージがあったようだ。日本人参加者の中には、最高齢の山口武さん(79歳)と村田宣嗣さん(75歳)もいたが、黙々と急坂を上られている姿を見てとても刺激を受けた。

二日目のライドの始まる直前。走る前には全員でラジオ体操のような準備運動をする点もユニークだ Photo: Masao KANEKO二日目のライドの始まる直前。走る前には全員でラジオ体操のような準備運動をする点もユニークだ Photo: Masao KANEKO
(左から)日本人最高齢完走者の山口武さん(79歳)と筆者、村田宣嗣さん(75歳) Photo: Masao KANEKO(左から)日本人最高齢完走者の山口武さん(79歳)と筆者、村田宣嗣さん(75歳) Photo: Masao KANEKO
中盤から徐々に勾配が上がると息遣いも荒くなる。年配者をフォローして走る韓国の若者たちが実に素敵だ Photo: Masao KANEKO中盤から徐々に勾配が上がると息遣いも荒くなる。年配者をフォローして走る韓国の若者たちが実に素敵だ Photo: Masao KANEKO

 また、急坂で苦しんでいる参加者を見掛けると、韓国人参加者の若者たちが腰に手を添えて押してあげる光景もみられた。実に爽やかで好印象だった。韓国の若者たちはあいさつや食事・会話の場で目上の人を敬う姿勢が日本の若者以上に徹底していた点も、この旅で実感した。とても素晴らしく純粋な気質だと私は思う。

 ひと汗かいた後はバスに乗り、ショートカットしてその日の宿泊ホテルへと向かい、一日の行程を終えた。

10月25日(日) 彦根市~名古屋市

秀吉が一夜で築いたといわれる一夜城を背景に記念写真。ここから再びライドが始まる Photo: Masao KANEKO秀吉が一夜で築いたといわれる一夜城を背景に記念写真。ここから再びライドが始まる Photo: Masao KANEKO

 われわれの随行最終日は、彦根から。朝9時、一行はまずバスで移動して「関ケ原古戦場跡」を視察し、大垣市にある墨俣「一夜城」へと向かった。ここはその昔、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして城を築いたと伝えられる場所で、秀吉の人となりを知る歴史資料館も併設されている。

 ここで自転車に乗り換え、長良川沿いの河川敷を走り、県道を通って今度は木曽川の河川敷ルートへ。愛知県一宮市の「尾西歴史民俗資料館」まで走ってこの日の行程は終了した。

三日間、毎日お昼の弁当は河川敷で食べた。心打ち解けながら食べると思わず笑みが浮かぶ Photo: Masao KANEKO三日間、毎日お昼の弁当は河川敷で食べた。心打ち解けながら食べると思わず笑みが浮かぶ Photo: Masao KANEKO
木曽川沿いの河川敷道路を走る一行。空が大きく広いことに感動し、隊列のあちこちから歓声が上がる Photo: Masao KANEKO木曽川沿いの河川敷道路を走る一行。空が大きく広いことに感動し、隊列のあちこちから歓声が上がる Photo: Masao KANEKO

 尾西歴史民俗資料館には、朝鮮通信使が宿泊した当時の資料が多数展示されており、一行は感慨深げに見学していた。

 この日の夕食を共にしたのを機に、東京ゴールでの再会を約束して、一行とはいったん別れを告げた。

この日の目的地「尾西歴史民俗資料館」に到着してガッツポーズ Photo: Masao KANEKOこの日の目的地「尾西歴史民俗資料館」に到着してガッツポーズ Photo: Masao KANEKO
別れの瞬間。韓国女子の別れを惜しむ仕草がこれまた嬉しい Photo: Masao KANEKO別れの瞬間。韓国女子の別れを惜しむ仕草がこれまた嬉しい Photo: Masao KANEKO

11月1日(日) 東京都庁前広場にゴール

 われわれと分かれた新朝鮮通信使の一行は26日以降、名古屋~静岡~箱根~横浜へと江戸時代の朝鮮通信使が辿った足跡を辿り、11月1日、ついに全行程1900kmにも及ぶサイクリングツアーを終えて東京へたどり着いた。

「新朝鮮通信使」総団長の柳仁村(ユ・インチョン)氏。俳優で、李明博政権時代には文化体育観光相も務めた Photo: Masao KANEKO「新朝鮮通信使」総団長の柳仁村(ユ・インチョン)氏。俳優で、李明博政権時代には文化体育観光相も務めた Photo: Masao KANEKO

 私は都内在住の自転車仲間13人と「明治神宮外苑絵画館前」に集結し、横浜市内からバスで移動して来る一行を出迎えた。そこで昼食を共にした後、再び自転車にまたがり、新大久保のコリアンタウン付近を経由して東京都庁前広場までのライドを先導させていただいた。

 ゴール地点の東京都庁前広場では盛大な出迎えイベントが繰り広げられ、私たちもゴール・セレモニーに参加させていただくことができ、とても嬉しかった。それよりも、本ツアーの意義を十二分に理解し、全行程を走破された新朝鮮通信使の方々には頭が下がる思いであり、心から拍手を送りたい。

都庁前都民広場では約2000人の観衆がお出迎え。あまりの人数の多さに緊張した Photo: Shigeru HASEGAWA都庁前都民広場では約2000人の観衆がお出迎え。あまりの人数の多さに緊張した Photo: Shigeru HASEGAWA
ゴール会場の歓迎横断幕前で記念写真。皆さん、1900kmの完走お疲れさまでした! Photo: Masao KANEKOゴール会場の歓迎横断幕前で記念写真。皆さん、1900kmの完走お疲れさまでした! Photo: Masao KANEKO
筆者(左)とサイクリングリーダーの朴成培(パク・ソンべ)さん。2年前に全ルートを単独走破したベテラン Photo: Masao KANEKO筆者(左)とサイクリングリーダーの朴成培(パク・ソンべ)さん。2年前に全ルートを単独走破したベテラン Photo: Masao KANEKO

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東京都内で一週間ぶりの再会。もうすっかりお友達。国が違っても壁はないと感じた Photo: Masao KANEKO東京都内で一週間ぶりの再会。もうすっかりお友達。国が違っても壁はないと感じた Photo: Masao KANEKO

 ソウルから東京までの全行程22日間のうち、わずか4日間の随行参加だったが、たくさんの韓国人と行動を共にし、一緒に自転車を漕いで汗をかくという貴重な経験をした。一行の皆さんが満面の笑顔で応対してくれたことにも感動した。確かに言葉の壁はあったものの、「自転車が好き」という共通言語でとても有意義な日々を過ごせたことに感謝する。

 これまで両国間の政治や外交の場面ではぎすぎすしたものがあったが、民間レベルにおいては、過去は過去と認識し、「共に開く新たな未来」が重要なテーマにある。その意味で今回のイベントの成功は、政治の世界に影響を与えるかもしれない、実に有意義な取り組みだったと思う。

この無邪気で明るい若者たちが未来の韓国・日本を引っ張る原動力となることを期待する Photo: Masao KANEKOこの無邪気で明るい若者たちが未来の韓国・日本を引っ張る原動力となることを期待する Photo: Masao KANEKO
「共に開こう新たな未来を」。全てはこの一語に両民族の思いが凝縮されている Photo: Masao KANEKO「共に開こう新たな未来を」。全てはこの一語に両民族の思いが凝縮されている Photo: Masao KANEKO

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