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砂田弓弦の風を追うファインダー<3>“最高”からボロまで、取材のホテルはいろいろ フロントから逃げ出したことも…

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 年間200日近くをホテルで過ごす生活を27年間続けると、いろんなホテルに巡り合う。

←部屋の鍵が共通? ホテル・その1

 最高のホテルといえば、毎年ツアー・オブ・カタールであてがわれるリッツカールトンや、ツアー・オブ・オマーンで泊まるシャングリ・ラである。ただし、こうした招待レースは年間数えるほどしかなく、大部分は自分で予約し、自分で金を払って泊まる。

2008年、モンテカルロで佐藤琢磨君を取材。そのとき泊まったホテルでダニに刺された Photo: Yuzuru SUNADA2008年、モンテカルロで佐藤琢磨君を取材。そのとき泊まったホテルでダニに刺された Photo: Yuzuru SUNADA

 カーレーサーで自転車好きでも知られる佐藤琢磨君をモンテカルロに訪ねた時は、ニースのホテルに泊まった。そのとき、猛烈なかゆみに襲われ、ところどころ虫に食われた跡があった。

 成田空港に着くと、僕は真っ先に診療所に駆け込んだ。周りの乗客はけげんそうな表情で、何の罪もない僕はまるで悪者にされたような気分だった。

 診断はダニだった。初めての経験だった。かゆみはなかなか治らず、薬をつければすぐに治る蚊とは大違いだった。

 2014年のブエルタ・ア・エスパーニャでもダニにやられた。そこは常宿で、料金はわずか25ユーロ。部屋は広くて清潔だし、夕食なんか、ビールを何本飲んでも料金が一緒という信じられない太っ腹。主人は親切だし、数年前からよく泊まっているのだけれど、去年初めてやられた。また泊まるとは思うけど、ちょっと怖い。

 チェックインしてからあまりのボロさに泣きたくなったのが、ツール・ド・フランスで行ったヴィッテルのホテルだ。水の産地として知られているところだけれど、当時はインターネットがなく、ホテルの事前予約は不可能。だから、その日のステージが終わったらホテルに飛び込んで空き部屋を聞くという、行き当たりばったり方式だった。

 奇跡的に部屋がとれたものの、まず部屋に鍵がかからなかった。そしてお湯が出なかった。従業員に言っても、フランス人らしく「私は知らない」という返事だった。結局、蛇口から出る冷たい水で頭を洗った。部屋に鍵がかからないから、食事はどうしたのだろう? もう記憶に残っていない。

 そんなにボロいホテルなら、さっさと出ていけばいいのにと思うかもしれないが、ツール・ド・フランスでホテルを探すのは想像以上の大変さなのだ。

 今でこそインターネットで予約できるけれど、当時はインターネット自体がなかった。最悪記録は1993年、マディーヌ湖でのタイムトライアルだった。ホテルが少ないところで、何軒も当たった結果やっと見つかったが、深夜12時を過ぎていた。見つけるのに6時間以上費やしたことになる。

1993年はインドゥラインの全盛期。観客の数も今よりずっと多かったと思う(1993 ツール・ド・フランス) Photo: Yuzuru SUNADA1993年はインドゥラインの全盛期。観客の数も今よりずっと多かったと思う(1993 ツール・ド・フランス) Photo: Yuzuru SUNADA

 しかし、本当に逃げ出したホテルがこれまで一回だけあった。フロントに誰もいなかったのでベルを鳴らしたら、出て来たのが布切れを腰に巻いた上半身裸の男。パスポートを出すと、

 「おお、日本からやってきたんですか」

と大歓迎の言葉が。そして信じられない言葉が彼の口から発せられた。

 「このゲイのホテルに来た初めての日本人ですよ」(続く)

砂田弓弦
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)

1961年9月7日、富山市生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、1989年から自転車競技の取材・撮影に携わる。世界のメジャーレースで、オートバイに乗っての撮影を許されている数少ないフォトグラファーの一人。多くの国のメディアに写真を提供しており、ヨーロッパの2大スポーツ新聞であるフランスのレキップ紙やイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙にも写真が掲載される

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