聴覚障害者スポーツの祭典で日本が躍進デフジャパンが「アジア太平洋ろう者競技大会」でメダル4個獲得 世界大会出場へ弾み

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 聴覚障害者の総合スポーツ大会「第8回アジア太平洋ろう者競技大会(以下、アジア大会)」が10月3日から11日まで台湾・桃園市で開催され、22カ国1120人の選手が参加した。自転車競技は4、5、7、9日の4日間開かれ、6カ国17選手が出場。日本からは「日本ろう自転車競技協会」による選抜チーム「Deaf Japan」(デフジャパン、小笠原崇裕監督)の5選手が派遣され、計4個のメダルを獲得する活躍をみせた。スポーツファーマシスト&国際手話通訳のスタッフとして帯同した早瀨久美さん(昭和大学病院薬局)によるレポートをお届けします。

タイムトライアルでスタートを待つ得利雄介選手 Photo: Deaf Japanタイムトライアルでスタートを待つ得利雄介選手 Photo: Deaf Japan

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ロード4種目の総合力を競う

 第8回アジア太平洋ろう者競技大会における自転車競技は、1人の選手が1000mスプリント、35kmタイムトライアル(TT)、100kmロードレース、50kmポイントレースのロード4種目にすべて参戦する形で、国際自転車競技連合(UCI)規約にのっとって行われた。日本ではあまり行われないレース形態で、総合力が問われる。

 3年前の2012年に韓国・ソウルで開催された第7回大会では、自転車競技に日本を含む5カ国12人が参加。オーストラリア、韓国、台湾勢にメダルを独占され、日本は最高順位が4位と惜敗した。そこでデフジャパンでは、競技力向上を目指して2014年5月にマルチプロアスリートの小笠原崇裕選手を監督に迎え、1年半の間に約10回の強化合宿を実施。着実に力をつけていった。

 今大会に向けては、今年4月の代表選考会を経て、早瀨憲太郎、川野健太、得利雄介、長濱圭吾、野崎勝利の5選手が日本代表に選出された。

盛大に行われた開会式 Photo: Deaf Japan盛大に行われた開会式 Photo: Deaf Japan

 デフジャパンは第8回アジア大会での初のメダル獲得を目標に、2015年シーズンから、全日本実業団自転車競技連盟(JBCF)に初めて聴覚障害をもつ選手のみのチーム「日本ろう自転車競技協会」として登録・出場。3か月後には早瀨選手がE1クラスタ(Jプロツアーに次ぐカテゴリー)に昇格した。その早瀨選手をエースとし、JBCFをはじめ様々な国内レースに日本代表選手の5人で参戦し、チームワークを磨いてきた。9月にはツール・ド・北海道にチームで参戦し、早瀨選手が総合7位になるなど調子を上げてきた。

 しかし、アジア大会まであと3週間という時期に早瀨選手が不慮の事故で左鎖骨と肋骨3本を骨折する大けがを負ってしまった。デフジャパンに暗雲が立ちこめたが、幸い、骨折後すぐに手術を受け、3日後にはJBCFのレースに復帰。担当医師や小笠原監督とよく相談した結果、予定通りアジア大会に出場することになった。

 そして迎えたアジア大会。自転車競技は日本、オーストラリア、台湾、中国、イラン、香港の6カ国17選手で争われた。

ベスト8に5人進出、早瀬選手が2位 1000mスプリント

 最初の種目として10月4日に行われた1000mスプリントには12選手が出場。まず個人200mスプリントTTを計測してトーナメントが組まれ、1対1の勝ち残り方式で争われた。コースは公園の周囲を1周するほぼ平坦な1km。4つのコーナーがあり、3つめのコーナーからは下り基調で、4つ目のコーナーに入ってすぐの地点が200mスプリントのスタートとなる。

 個人200mスプリントTTで4つのシードのうち3つに得利選手、長濱選手、野崎選手が入り、1回戦で早瀨選手と川野選手が勝って日本勢は全員2回戦へ進出。この時点でベスト8に日本選手5人全員が残るという日本チームとして有利な展開に。

ロードバイクで行った1000mスプリント Photo: Deaf Japanロードバイクで行った1000mスプリント Photo: Deaf Japan

 2回戦は日本人同士の対戦となったが、小笠原監督の指示により脚を温存させる作戦で早瀨選手、得利選手がベスト4に進出した。

 準決勝からは3回勝負で2回勝ち抜け方式となる。前回大会で金メダリストの台湾選手と対戦した早瀨選手は、1勝1敗となり、3戦目でぎりぎり車輪の差で勝ちぬいて決勝に進出。得利選手も中国選手と1勝1敗になり、3戦目で自転車1台の差をつけて勝利した。これで決勝は日本選手同士の対決となるはずだったが、審判から得利選手は斜行により失格と告げられる。日本チームが撮影していたビデオ映像には得利選手の斜行はなかったので、ただちに正式な抗議を申し出たが、審判の判定は絶対だということで却下された。

 そのまま迎えた決勝戦では早瀨選手が中国選手に敗れて2位、得利選手は3位決定戦で台湾選手に敗れ4位となり、日本チームとして初のメダル獲得も後味の悪い結果に。小笠原監督は「これも国際大会。日本チームとしてフェアな闘いをして、次こそ金メダルを勝ち取ろう」と選手たちを励ました。

 なお、1000mスプリントは参加国数に合わせてノンメダルとされ、大会を通じてのメダル獲得数にはカウントされない。

ペース配分に成功し早瀬選手が銅 35kmTT

ローラーでウォーミングアップを行う野崎選手 Photo: Deaf Japanローラーでウォーミングアップを行う野崎選手 Photo: Deaf Japan

 35kmTTは10月5日、高速道路を封鎖して行われた。コースは、ゆるやかなアップダウンのある片道17.5kmの直線を往復。海に近く、高速道路沿いに風力発電の風車がズラッと建ち並ぶ。普段から風の強いエリアで、選手の脚力がそのままタイムに出るレースだ。

 スタート直前に計測チップが配られるという運営側のミスで大混乱が起きたが、日本チームは小笠原監督と私(早瀨久美)で計測チップを日本選手のバイクに装着。選手たちは設置されたスタート台から1分おきに飛び出していった。

早瀬選手が3位に入り、銅メダルを獲得した Photo: Deaf Japan早瀬選手が3位に入り、銅メダルを獲得した Photo: Deaf Japan

 日本国内でのTTは10km以内と短い距離が多く、このような長い距離のTTは日本チーム全員が未経験のためペース配分の課題があった。しかし小笠原監督の指導による強化合宿で1時間走を繰り返し行っていたこともあり、最初の5分は抑え、徐々にペースを上げていき、折り返してからはさらに上げるといった巧みなペース配分に成功。早瀨選手が銅メダルに輝いた。

0.1秒差で早瀬選手が銀 100kmロードレース

 日本チームとして最も練習を積み重ね、目標としてきたのが10月7日の100kmロードレース。チーム戦略が重要なレースだ。舞台はTTと同じく封鎖された高速道路で、片道16.5kmを3往復するコース。海沿いで風が強いうえ、直線のため逃げが決まりにくく、ゴールスプリントで勝負が決まるだろうと予想された。

 レースでは、35kmTTで4人全員が上位に入ったイランチームが独走力を生かして終始、集団をコントロール。台湾やオーストラリアのアタックをチームで抑え込み、落ち着いたころ合いにアタックをかけるなど、イランチームの動きが目立った。

 日本チームは常に1人が集団前方に位置してアタックを牽制、残り3人がエースの早瀬選手の近くで走り、エースの力を温存した。残り15km地点でトップ集団の動きが活性化し、スピードが上がった。ここから日本チームも動いた。まず長濱選手が早瀬選手を集団前方へ引っ張りつつ、川野選手が1人で逃げて、台湾チームに追いかけさせることでじわじわと台湾チームの脚を削っていく作戦だ。

早瀬選手が惜しくも2位と0.1秒差で3位に入った Photo: Deaf Japan早瀬選手が惜しくも2位と0.1秒差で3位に入った Photo: Deaf Japan

 残り2kmで得利選手、続いて野崎選手がアタックをしかけ、各国のエースの脚を削りにかかる。そして残り200mで中国のエースと台湾のエースが飛び出した。それに早瀨選手が対応してゴールスプリント。中国エースをかわすも、台湾のエースにはわずかに届かず、0.1秒差の2位でゴールし銀メダルとなった。

表彰式に立つ早瀨憲太郎選手 Photo: Deaf Japan表彰式に立つ早瀨憲太郎選手 Photo: Deaf Japan
食べ慣れているオニギリを頬張る選手たち Photo: Deaf Japan食べ慣れているオニギリを頬張る選手たち Photo: Deaf Japan

戦術的中で早瀬選手が金、川野選手が銅 50kmポイントレース

 10月9日にロードで行われたポイントレースは、1000mスプリントと同じ1周1kmのコースで2周ごとに1着5ポイント、2着3ポイント、3着2ポイント、4着1ポイントを獲得し、さらに周回遅れの選手をトップ選手が抜けば20ポイント獲得というルールで行われた。

 ちなみにこのレースの前日に国際大会ならでは(?)のちょっとした出来事があった。台湾とオーストラリアの選手から「日本のアシストと台湾のアシストで協力して他の国を抑えてエースを逃げさせよう」と“談合”の提案があったのだ。夜のチームミーティングでその話をすると、小笠原監督は「日本は日本の戦い方をする、日本のアシストは日本のエースのために」ときっぱりと方針を打ち出した。

ローラーでウォームアップを行う選手たち Photo: Deaf Japanローラーでウォームアップを行う選手たち Photo: Deaf Japan

 実際にレースが始まると、1周目から台湾選手のアシスト3人が早瀨選手を囲い込んで徹底的にマークし、台湾のエースとオーストラリアのエースが逃げを決めようとして集団は一気にハイペースに。そこで日本のアシストが前に出て台湾のアシストを牽制。そのすきに囲い込みから抜け出した早瀨選手が初回のスプリントポイントを1着通過。次は台湾のエースが1着通過。その後もハイペースが続き、位置取り争いも激化し、その間隙を突いて中国のエースが1着をとるなど、序盤から各国のエースが激しいスプリント争いを繰り広げた。

早瀨憲太郎選手,川野健太選手,オーストラリア選手で逃げグループ Photo: Deaf Japan早瀨憲太郎選手,川野健太選手,オーストラリア選手で逃げグループ Photo: Deaf Japan

 しかし早瀨選手は着実に1着ポイントを重ね、リードを広げていく。集団も小さくなり、台湾3人、日本2人、中国1人、オーストラリア1人の7人に。そうすると今度は周回遅れの選手との距離が近づき、20ポイントを取るためのアタック合戦を開始。ここで周回遅れとなった得利選手がトップの早瀨選手にうまく抜かれて早瀨選手が20ポイント獲得。前半で2位に大量のリードをつけ、金メダルをほぼ確実にした。

金メダルと銅メダルを獲得した日本チーム Photo: Deaf Japan金メダルと銅メダルを獲得した日本チーム Photo: Deaf Japan

 そして小笠原監督から、ずっとトップ集団にいる川野選手にメダルをとらせる指示が出た。早瀨選手は集団を抑え、次の周回遅れの選手はアシストの川野選手に抜かせて一気に20ポイントを獲得。川野選手はそのまま1着ポイント獲得を狙っていく。

 ここでオーストラリアのエースが追いつき、川野選手との2人逃げに。しかし、第2集団にいたアシストの長濱選手と野崎選手がメーン集団に追いついて集団を抑えこみ、その間に早瀨選手が抜け出して逃げの2人に追いつき、逃げは3人となった。終盤には早瀬選手がオーストラリアのエースを抑え込み、川野選手が残り全てのスプリントポイントを1着で獲得。こうして早瀨選手が金メダル、川野選手が銅メダルに輝いた。

「2017デフリンピック」出場を見据えて

メダル5つ、入賞が7回の活躍をみせた日本代表チーム Photo: Deaf Japanメダル5つ、入賞が7回の活躍をみせた日本代表チーム Photo: Deaf Japan

 日本チームとしては7つの入賞、4個のメダル獲得という好成績を残すことができた。期待が大きかった早瀨選手は、エースとしてしっかり金メダル獲得という結果を残すことができた。そして、チームプレーが実った川野選手の銅メダル獲得は、小笠原監督のもとで1年半積み重ねてきた強化活動がきっちり表れたことを証明している。

 デフジャパンは今回のアジア大会での活躍により、2017年7月にトルコで開催される聴覚障害者スポーツの世界大会「デフリンピック」への出場が期待できることとなった。今後は2016年7月に世界ろう自転車選手権、同年11月にデフ・ツール・ド・台湾へ出場する予定だ。

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