3年目を迎える復興支援サイクリング訪問することで乗り越えられる震災の経験 試走で感じた「ツール・ド・東北」の癒し

by 上野嘉之 / Yoshiyuki KOZUKE
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 東日本大震災の復興支援サイクリング大会「ツール・ド・東北 2015」が9月13日、宮城県の三陸海岸を舞台に開かれる。筆者は8月上旬、大会運営スタッフを務めるヤフー自転車同好会の皆さんと一緒に、今大会の最長カテゴリーとなる気仙沼フォンド(石巻~気仙沼間を往復 211km)のコースを2日間に分けて試走した。実際のコースで気付いた点や、完走に向けたポイントを挙げるとともに、個人的な体験を含めて、被災地を走ることへの思いを綴る。

「ツール・ド・東北」試走会の初日、海岸線の幹線道路を走るヤフー自転車同好会のメンバーら ©堀江正俊「ツール・ド・東北」試走会の初日、海岸線の幹線道路を走るヤフー自転車同好会のメンバーら ©堀江正俊

今年はJR仙石線が全線運転再開

 8月1日朝、試走のため東京から新幹線で仙台へと向かった。筆者は十年余り前に産経新聞の記者として仙台へ赴任していたことがあり、宮城県は第二の故郷のように身近に感じている。

試走会参加者が仙台駅のホームに集合。今年5月の仙石線復旧と同時に、東北本線と仙石線を直通運転で結ぶ「仙石東北ライン」の運行も新たに始まり、石巻までは2つの経路を選べるようになった。ただし、2つの路線のホームは数百mも離れており、間違えると面倒だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE試走会参加者が仙台駅のホームに集合。今年5月の仙石線復旧と同時に、東北本線と仙石線を直通運転で結ぶ「仙石東北ライン」の運行も新たに始まり、石巻までは2つの経路を選べるようになった。ただし、2つの路線のホームは数百mも離れており、間違えると面倒だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 仙台駅に着いてから、ツール・ド・東北のスタート地点となる石巻までの移動手段は、昨年までとは大きく異なった。

 仙台と石巻を結ぶJR仙石線は、2011年3月11日に発生した東日本大震災により、長らく一部区間(高城町-陸前小野)が不通となっていた。しかし今年5月30日に全線で運転を再開。つまり過去2回の大会では、仙石線の列車だけでは石巻にたどり着けなかったのだが、3年目を迎えた今大会でようやく、普通に輪行して現地入りできるのだ。

仙石東北ラインで輪行。石巻まで下車することなく、ラクラク到着できる Photo: Yoshiyuki KOZUKE仙石東北ラインで輪行。石巻まで下車することなく、ラクラク到着できる Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 筆者は2年前にもツール・ド・東北の試走会に参加したが、その時は仙石線の不通区間で代替輸送バスに乗り換え、再び石巻行きの列車に乗ってようやく現地に到着したのだった。時間はたっぷりかかったし、何より気持ちが落ち着かない。そんな不便さを経験しただけに、仙石線の全線運転再開は、震災復興の大きな成果だと実感した。

活気を取り戻した“仮面ライダーの街”

 ヤフー自転車同好会の仲間と共に石巻駅へ降り立つと、車体の全面にマンガが描かれた列車「マンガッタンライナー」が停車していた。

外観の全面に石ノ森作品のキャラクターが描かれた「マンガッタンライナー」。JR仙石線のシンボル的存在だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE外観の全面に石ノ森作品のキャラクターが描かれた「マンガッタンライナー」。JR仙石線のシンボル的存在だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 石巻は、「仮面ライダー」や「サイボーグ009」を生んだ偉大な漫画家、故・石ノ森章太郎さんゆかりの地。そこで石巻市は、石ノ森さん死去後の2001年に「石ノ森萬画館」をオープンさせ、マンガを通じた町おこしを展開してきた。石ノ森作品のキャラクターを描いた「マンガッタンライナー」は2003年に運行が始まり、鉄道ファン、アニメファン、観光客、地域住民の誰からも愛される列車として定着していた。震災後は不通区間のせいで石巻駅まで走ることができず、今年5月に再び乗り入れるようになったばかりだ。

石巻市内の「マンガロード」に立つ仮面ライダー像。大津波にも流されず、変身ポーズで人々に勇気を与え続けた =2011年5月25日 撮影:産経新聞社 岡本耕治 石巻市内の「マンガロード」に立つ仮面ライダー像。大津波にも流されず、変身ポーズで人々に勇気を与え続けた =2011年5月25日 撮影:産経新聞社 岡本耕治

 石巻の中心街にある「マンガロード」では、仮面ライダーなどのキャラクター像が訪れる人の目を楽しませてくれる。東日本大震災の発生時には、多くの像が津波になぎ倒され、石ノ森萬画館も海水に飲まれた。しかし、仮面ライダー像だけは津波に流されず、変身ポーズの勇姿を保ち続けた。そのことが日本中に報じられ、多くの人々に感動と勇気を与えた。

「石ノ森萬画館」前のがれきを撤去する同館業務課長の大森盛太郎さん(左) =2011年3月30日 撮影:産経新聞社 宮川浩和「石ノ森萬画館」前のがれきを撤去する同館業務課長の大森盛太郎さん(左) =2011年3月30日 撮影:産経新聞社 宮川浩和
津波で周囲の建物がなぎ払われた中、「石ノ森萬画館」の外観はほぼ無傷で残った =2011年5月24日 撮影:産経新聞社 岡本耕治津波で周囲の建物がなぎ払われた中、「石ノ森萬画館」の外観はほぼ無傷で残った =2011年5月24日 撮影:産経新聞社 岡本耕治

 ツール・ド・東北の参加者の皆さんが、もし石巻の街でマンガのキャラクターを目にしたら、キャラクターたちも住民と共に震災を経験し、復興に尽力してきたことに思いを馳せてほしい。

震災への理解を新たにする機会

 スタート地点の石巻専修大キャンパスは、度肝を抜かれるほど広く、美しい。試走初日は総勢11人のライダーでスタート。大学周辺の道は新しく、走りやすい。

試走会の参加メンバーが石巻専修大学前を出発。同大学のキャンパスは驚くほど広く、美しい Photo: Yoshiyuki KOZUKE試走会の参加メンバーが石巻専修大学前を出発。同大学のキャンパスは驚くほど広く、美しい Photo: Yoshiyuki KOZUKE
“普通の田舎道”。舗装の傷みや段差が目立ち、路肩は砂をかぶって滑りやすくなっているところも Photo: Yoshiyuki KOZUKE“普通の田舎道”。舗装の傷みや段差が目立ち、路肩は砂をかぶって滑りやすくなっているところも Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 しかしまもなく“普通のいなか道”が現れる。路面は荒れ気味で、段差や穴も少なくない。カーブは不規則で、路肩はときどき砂をかぶって滑りやすくなっている。大都市や近郊のきれいな舗装路に慣れたサイクリストにとっては、走りにくさを感じるかも知れず、場合によっては危険な状況を招きかねない。大会当日は慌てず、リラックスし、車間距離を保って安全運転に努めてほしい。

 9kmほど走ったところで幹線道路の県道に入ると、やがて道路の反対側に建ち並ぶ仮設住宅の前を通過する。ここに限らず、ツール・ド・東北ではコース沿いに仮設住宅が何度も現れ、大会当日には沿道で応援してくださる住民の方々もいるという。仮設住宅は観光地のように訪れたりする場所ではないが、そこで今なお避難生活が続き、人々が暮らしを営んでいると実感することは、震災への理解を新たにする機会となるだろう。

劇的に生まれ変わった女川駅

 コースはやがて女川町の中心部へ。移設・新築して今年3月にオープンたJR女川駅の駅前広場にエイドステーションが設けられる。

今年3月にオープンした新しいJR女川駅。空に大きな屋根をかけるような外観だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE今年3月にオープンした新しいJR女川駅。空に大きな屋根をかけるような外観だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 震災前、筆者は取材で当時の女川駅に立ち寄ったことがある。ローカル線の小さな駅だが、美しく整備された駅前広場や、色とりどりのイルミネーションが、町の豊かさをアピールしているかのようだった。

津波によってJR女川駅のホームは壊滅し、列車は遠くの丘にまで押し流された =2011年3月15日 撮影:産経新聞社 橋本昌宗津波によってJR女川駅のホームは壊滅し、列車は遠くの丘にまで押し流された =2011年3月15日 撮影:産経新聞社 橋本昌宗

 しかし震災の津波で、女川駅はほとんど跡形もなく押し流され、停止していた列車は200mも離れた山腹へ打ち上げられた。女川町では当時の人口約1万人のうち、震災による死者・死亡認定者は827人にのぼり、市街地は壊滅的な打撃を受けた。

 筆者は心の中で、小さくても豊かだった女川町が震災後、どのような道を歩んできたのか、知りたいという気持ちを募らせていた。

 新しい女川駅は、元あった場所から200mほど内陸側、7~9mも盛り土をされた高台の上に線路を引きなおして建設された。鉄骨3階建ての駅舎は、空に大きな屋根をかけるような外観が特徴的だ。敷地も広く、駅舎の内外に町営「女川温泉ゆぽっぽ」、無料の足湯、みやげ物や特産品の売店などが設けられている。駅前の空き地にはショッピング通りも建設されるという。

新しい女川駅のホーム。駅舎は大きいが、単線・非電化のローカル線だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE新しい女川駅のホーム。駅舎は大きいが、単線・非電化のローカル線だ Photo: Yoshiyuki KOZUKE
駅舎の前に設けられた無料の足湯。誰でも楽しむことができる Photo: Yoshiyuki KOZUKE駅舎の前に設けられた無料の足湯。誰でも楽しむことができる Photo: Yoshiyuki KOZUKE
女川駅前で休憩するヤフー自転車同好会のメンバー ©堀江正俊女川駅前で休憩するヤフー自転車同好会のメンバー ©堀江正俊

 今大会では、本来のコースから少し引き込むような形で高台の女川駅にエイドステーションが設けられる。それは、復興した新しい女川駅を見てほしいという女川町民や大会事務局の熱い思いがあるからだという。

 女川駅を後にして再び走り始めたとき、「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ」という横断幕が目に飛び込み、心を奪われた。

女川駅の近くに掲げられていた横断幕 Photo: Yoshiyuki KOZUKE女川駅の近くに掲げられていた横断幕 Photo: Yoshiyuki KOZUKE

コースを走って気付いた“法則”

コースは、高さ30~50mの丘を何度も越えていく ©堀江正俊コースは、高さ30~50mの丘を何度も越えていく ©堀江正俊

 コースは海抜0m付近の港町を点々と結びつつ、その間に標高30~50mほどの丘を何度も越えていく。一つひとつの丘越えは苦ではないが、それが連続すると疲労が確実に蓄積する。楽しく完走するためには、小さな丘でも頑張り過ぎず、むしろ上り坂では遠慮なくペースを落とし、心身の余裕をキープすることが肝心だ。

トンネルも頻繁に通過する。前後のライトはしっかり装備しておきたい ©堀江正俊トンネルも頻繁に通過する。前後のライトはしっかり装備しておきたい ©堀江正俊

 また、アップダウンが繰り返される区間では、頻繁にトンネルを通過する。意外に長いトンネルもあり、また内部の照明はかなり暗く、ライダーの視界もクルマからの視認性も悪い。このためツール・ド・東北の参加者は、安全のために前後のライトをしっかり装備し、トンネルに入る前に必ず点灯しておきたい。

 沿道の景色を眺めながら走っていると、ある“法則”めいたパターンに気が付いた。丘で目に入る道路や民家は何ら異変がないのだが、海沿いの低地へと下りた途端に、一帯が何も建っていない更地だったり、建設機械だらけの工事現場だったりするのだ。

高台に建つ家は、津波の影響を受けず、震災前と換わらぬ生活を送っているように見える ©堀江正俊高台に建つ家は、津波の影響を受けず、震災前と換わらぬ生活を送っているように見える ©堀江正俊
海面に近い土地は津波の被害をもろに受け、現在も更地や工事現場であることが多い Photo: Yoshiyuki KOZUKE海面に近い土地は津波の被害をもろに受け、現在も更地や工事現場であることが多い Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 津波が到達しなかった高台では以前と同様の生活を営むことができ、津波に襲われた低地は今なお再建・再生のメドが立っていないところも多い。港町と高台を繰り返し通過するツール・ド・東北のコースでは、被害のコントラストを目の当たりにすることになる。

気仙沼で不意に流れた涙

試走初日のゴールは気仙沼。この日は時間が押してしまい、夕暮れまでに完走したのは4人となった ©堀江正俊試走初日のゴールは気仙沼。この日は時間が押してしまい、夕暮れまでに完走したのは4人となった ©堀江正俊

 今回試走した「気仙沼フォンド」は、本来なら1日で往復211kmを走りきるのだが、試走会では道路状況やエイドステーションの設営場所確認なども行うため、コースを2日間に分けて取り組んだ。1日目のゴール地点が、三陸地方の交通の要衝であり、日本有数の漁業基地であり、本来ならばコースの折り返し点となる気仙沼だった。

 筆者はかつて一度だけ気仙沼を訪れたことがあった。仙台在住時、産経新聞の気仙沼駐在員だった先輩記者を休日に訪ねたのだ。漁市場に近い先輩の自宅でもてなしを受け、楽しい時間を過ごした。

至る所で火災の煙が上がる気仙沼市街地 =2011年3月12日 撮影:門井聡(産経新聞社ヘリから)至る所で火災の煙が上がる気仙沼市街地 =2011年3月12日 撮影:門井聡(産経新聞社ヘリから)

 4年前の大震災で気仙沼は大津波に飲み込まれ、その夜には港の一帯で津波火災が発生。筆者はテレビ画面が映し出す気仙沼の火の海を見た時、とっさに「先輩記者は生きていないだろう」と思った。東日本大震災で、知人の生死を明確に意識したのはこの時だけだったが、不思議なことに、それ以上は何も感じなくなった。

 今回、ツール・ド・東北の試走で気仙沼が近づくにつれて、筆者の心の中では、テレビで気仙沼の火の海を見つめたあの日の記憶がよみがえり、何とも言えぬモヤモヤした感情が沸き起こってきた。気仙沼へ足を踏み入れることが嬉しいような不快なような、複雑な気分だった。

 いよいよ市の中心街へ到着。この日は「気仙沼みなとまつり」が行われ、にぎやかな音楽とともに若者たちが踊りを披露していた。その脇を通り抜けて港を目指すと、大漁旗に飾られた復興市場が現れた。活気を取り戻した気仙沼と、未だ復興の途上にある気仙沼が折り重なって見えたとき、不意に涙があふれ出した。

がれきの山となった入り江で生存者を探す消防団員 =2011年3月11日 撮影:産経新聞社 頼光和弘がれきの山となった入り江で生存者を探す消防団員 =2011年3月11日 撮影:産経新聞社 頼光和弘

 ペダルを踏みながら声を上げて泣いて、気がついた。大震災の日、テレビで気仙沼の火の海を見ても落ち着いていられたのは、気仙沼について考えることを停止したから―ということだ。実際にはものすごい恐怖心に襲われ、混乱していたのだが、その恐怖をこれまで心の奥底に封印していたのだ。今回、自転車をこいで気仙沼にたどり着いた時、自分でも意識していなかった精神状態に気付くことができた。

 涙とともに、恐怖心やモヤモヤ感も流れ落ちたような気がした。被災地を訪れたことで、震災のトラウマを自覚し、癒しを感じた瞬間だった。震災前と同じように、この日も気仙沼港にはたくさんのカモメが大空を舞っていた。

震災前と同じように、この日も気仙沼港にはたくさんのカモメが舞っていた Photo: Yoshiyuki KOZUKE震災前と同じように、この日も気仙沼港にはたくさんのカモメが舞っていた Photo: Yoshiyuki KOZUKE
崩壊した自宅の前で取材に応じる小野寺松一さん一家 =2011年3月20日 撮影:産経新聞社 植村光貴崩壊した自宅の前で取材に応じる小野寺松一さん一家 =2011年3月20日 撮影:産経新聞社 植村光貴

 気仙沼の先輩記者は津波で被災した後、しばらく安否が分からなかったが、地震から1週間ほどして現地に乗り込んだ産経新聞のカメラマンが、がれきの山となった先輩記者の自宅付近で元気な姿を発見した。家族全員、無事だったのだ。

一人ひとりが心を寄せるきっかけに

気仙沼大島へ往来するフェリーには、自転車に乗ったまま乗降することができる ©堀江正俊気仙沼大島へ往来するフェリーには、自転車に乗ったまま乗降することができる ©堀江正俊

 試走会の初日を終えた一行は、今年の大会で参加者の宿泊先にもなる気仙沼大島(沖合いに浮かぶ島)へフェリーで移動し、旅館に宿泊した。このフェリーには自転車に乗ったまま乗船・降船できる。

 翌日は早朝から大島のサイクリングを楽しみ、展望台から気仙沼湾を一望。再びフェリーで気仙沼港へ戻り、復路をたどって石巻を目指した。

2日目の早朝、気仙沼大島の亀山展望台から気仙沼湾を一望 ©堀江正俊2日目の早朝、気仙沼大島の亀山展望台から気仙沼湾を一望 ©堀江正俊
2日目の試走スタート。気仙沼から石巻を目指した Photo: Yoshiyuki KOZUKE2日目の試走スタート。気仙沼から石巻を目指した Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 復路のハイライトは、気仙沼市南端の絶景ポイント「岩井岬」。周囲の海をグルリと見回せる岬では、潮風に吹かれてしばし足を休めたい。また、終盤に北上川に沿って走るほぼまっすぐな平坦区間があり、視界が開けたコースで雄大な景観を楽しめる。

復路のハイライトは、気仙沼市南端の絶景ポイント「岩井岬」。周囲の海をグルリと見回せる Photo: Yoshiyuki KOZUKE復路のハイライトは、気仙沼市南端の絶景ポイント「岩井岬」。周囲の海をグルリと見回せる Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 岩井岬から5kmほど先の大谷海岸エイドステーション(道の駅 大谷海岸)では、「ホタテ炊き込みごはん&ふのり汁」が振る舞われる。試走会で試食したが、三陸特産の海の幸を生かした贅沢なメニューだ。「南三陸ホテル観洋」前のエイドステーションでは、フカヒレのスープが提供される。

大谷海岸エイドステーション(道の駅 大谷海岸)でのんびり休憩 ©堀江正俊大谷海岸エイドステーション(道の駅 大谷海岸)でのんびり休憩 ©堀江正俊
大谷海岸エイドステーションで提供される「ホタテ炊き込みごはん」 ©堀江正俊大谷海岸エイドステーションで提供される「ホタテ炊き込みごはん」 ©堀江正俊

 2日間に渡った試走会では、純粋にサイクリングやグルメを楽しむ一方、津波の被害が残る景観に直面すると、やはり「被災地を走っているんだ」という事実を強く意識させられた。

コースは南三陸町の防災対策庁舎の近くを通る。試走会のメンバーは黙祷を捧げた Photo: Yoshiyuki KOZUKEコースは南三陸町の防災対策庁舎の近くを通る。試走会のメンバーは黙祷を捧げた Photo: Yoshiyuki KOZUKE
北上川に沿った道では、ダイナミックな景観の中を走ることができる Photo: Yoshiyuki KOZUKE北上川に沿った道では、ダイナミックな景観の中を走ることができる Photo: Yoshiyuki KOZUKE

 ツール・ド・東北は、「ツール・ド・東北 基金」による復興関連事業の支援をはじめ、被災地域の経済活性化、住民とサイクリストの交流、道路などインフラ整備の促進―といったさまざまな役割を持つ大会だ。しかし筆者は、一人ひとりの参加者が改めて被災地に心を寄せるきっかけとなることが、最も意義深いと思う。試走を通じてそう確信した。

被災地を駆け抜けた「ツール・ド・東北」試走メンバー ©堀江正俊被災地を駆け抜けた「ツール・ド・東北」試走メンバー ©堀江正俊

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