サンケイスポーツ紙 連載より弟子を2人しか育てられなかったのが心残り 滝澤正光氏『私の失敗』<5>

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 2008年6月24日、私は富山競輪のレースを最後に、29年3カ月に及んだ選手生活にピリオドを打った。

 ラストランは先行して力を出し切っての8着。レースの3日後に行われた引退会見は、真っ白に燃え尽きた『あしたのジョー』ではないが、やり切った気持ちでいっぱいだった。涙、涙ではなく、笑顔で取材に応じた。

←引退会見の写真は<4>に掲載

魅力ある選手を増やしたい

 選手としてやり残したことはなかったが、ひとつだけ心残りがあった。弟子を伊勢崎彰大(36)=千葉81期、S級2班、小野裕次(27)=千葉95期、S級2班=の2人しか育てられなかったのだ。

 20代から30代の頃は自分の練習で手いっぱい。弟子入りを志願するアマチュア選手はいたが、人の面倒を見る余裕がなく、断ってきた。

 競輪を支持してくれるのはファンの方々だ。ファンから愛される、魅力ある選手を増やすことは重要である。私は2007年10月から競輪学校の非常勤教官に就いていたし、選手を育てることに興味はあった。

真剣なまなざしで生徒を指導する滝澤氏 =日本競輪学校(撮影・森田実)真剣なまなざしで生徒を指導する滝澤氏 =日本競輪学校(撮影・森田実)

 現役時代にはやりきれなかったが、選手を辞めてからは思う存分にやってみようと、2008年10月に常任教官となった。そして、2010年4月から校長として生徒と向き合っている。

 校長といっても校長室にじっとしているわけではない。バンクで、ローラー室で、教室で、生徒を叱咤(しった)激励している。

 私は現役時代、先行という戦法に極端にこだわった。それは、指導者という立場になっても変わっていない。ラインの一番前で風を切って走る先行は自分との戦いだ。

 時速70km近いスピードで走れば風圧をモロに受けるし、当然、前には誰もいない。信じていけるのは厳しい練習をやってきた自分だけ。ハート、気持ちの強さが支えとなる。一心不乱に駆けるその姿はファンの心を打つ。

 時代を変えるのは先行選手だと思う。野球でピッチャーがボールを投げないと試合が始まらないように、競輪も逃げる先行選手がいないとレースは始まらない。また、いい先行選手が育てば、いい追い込み、マーク選手が育つ。その逆のこともあるし、相乗効果でいい選手が育っていく。

失敗ではなく「できないやり方が分かった」

 現役時代に2500回近いレースを走って、ああすればよかった、こうすればよかったということは数限りなくある。

 この連載では私の失敗について話してきたが、学校では生徒に「失敗はない」と教えている。

 失敗ではなく、できないやり方が分かったと、捉えなさい。このやり方ではダメだ、と分かったことが大事なんだ。

 また、不利をいいほうに考えるのも大切。私はダッシュ力がなかったから、セールスポイントの地脚を強化して、人より早く先頭に立って押し切る先行という戦法で戦った。

 生徒たちはダイヤモンドの原石だ。学校時代によくなる兆しを見せていた生徒がデビューしてから強くなると本当にうれしいし、冥利(みょうり)に尽きる。指導者として魅力ある選手を送り出すことが、競輪の発展につながると信じてやまない。

(おわり)

滝澤 正光(たきざわ・まさみつ)

1960年3月21日生まれ、55歳。千葉県出身。79年に日本競輪学校43期生としてデビューし、84年に日本選手権(千葉)で特別競輪初制覇。87年に史上最多となる13場所連続優勝を達成し、KEIRINグランプリ(平塚)初優勝。90年に競輪祭(小倉)を制し、史上2人目のグランドスラム(特別競輪全冠制覇)を達成した。2008年6月30日に現役を引退。通算成績2457戦787勝、優勝150回。特別競輪(GI)の優勝は12回、KEIRINグランプリは2回。生涯獲得賞金17億5644万831円。現在は日本競輪学校校長。

SANSPO.COMより)

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