サンケイスポーツ紙 連載より見本を見せるはずが…熱湯プールにドッボ~ン 滝澤正光氏『私の失敗』<4>

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 商売道具である自転車に乗って、恥ずかしい思いをしたことがある。

 私は1984年から、ビートたけしさんが司会をしていたお笑いバラエティー番組「スーパージョッキー」のコーナー・THEガンバルマンに、千葉県の先輩である吉井秀仁さんと講師役で準レギュラー出演していた。

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たけし軍団のリアクションはウソじゃない

 たけし軍団の皆さんを自転車に乗せたり、水中ジェスチャーの回答者など、楽しく番組に出演させてもらっていたが、あるときの撮影で長さ10mほどのプールの上に幅30cmほどの一本橋を置き、その上を自転車で走る競技(?)があった。

 「まずはプロに見本を見せてもらおう」とたけしさんに促され、自転車にまたがったはいいが、私はタイヤを滑らせて、ドッボ~ンとプールへ落ちてしまった。

 プールの中は熱湯! お湯の温度は高く、たけし軍団がとるリアクションはウソじゃないんだと思った。番組的には“オイシイ”シーンになりウケたが、顔から火が出るほど恥ずかしかった…。

 言い訳をさせてもらえば、三輪車のような?小さな自転車には初めて乗ったので、思うようにバランスがとれなかったのだ。

 ほかのバラエティー番組や著名人カラオケ大会に出させてもらったり、吉井さんとデュエットで『東京まちぼうけ』という曲をレコーディングもした。レコードとしての発売はされなかったが…。

「お嫁さん募集」応募に目移りも…

1987年8月4日、13場所連続優勝中に全日本選抜をV。この年は特別競輪3回、KEIRINグランプリを優勝した。左は野田正氏、右は中野浩一氏 =向日町競輪場(提供・JKA)1987年8月4日、13場所連続優勝中に全日本選抜をV。この年は特別競輪3回、KEIRINグランプリを優勝した。左は野田正氏、右は中野浩一氏 =向日町競輪場(提供・JKA)

 その頃は特別競輪の常連になっていたし、レースでは人気を背負って走ることがほとんど。大口の車券購入も多かった。ファンは命の次に大切なお金を賭けてくれる。そのプレッシャーは重くのしかかり、一日一日がとても長く感じた。レースで勝てるとホッとした。

 私は87年に現在でも破られていない13場所連続優勝を記録している。その年は高松宮杯(びわこ)、全日本選抜(向日町)、オールスター(宇都宮)、KEIRINグランプリ87(平塚)を優勝することができたし、年間勝率.800(80戦64勝)で最高のシーズンを終えられた。

 そんな緊張感が続く日々に、楽しみながら出演できたバラエティーやイベントはいい気分転換になっていたと思う。オンとオフを上手に切り替えることで適度にリフレッシュしながら競輪を頑張れた。もちろん、収録が長引くこともあったから早朝に乗り込んで会場へ向かい、練習量を落とさないようにはしていた。

 ちなみに、妻の多賀子(52)とはスーパージョッキーが“縁”で知り合った。『吉井、滝澤両先生のお嫁さん募集』というコーナーを作ってくれたのだ。

 何十通も応募があって目移りしてしまい、番組内では選べなかったが、妻は日本競輪選手会へ手紙を送ってくれ、それが会ってみるきっかけとなった。結婚式にはたけしさんも出席してくれてうれしかった。忘れられない思い出だ。

2008年6月27日、引退会見に臨んだ滝澤氏の汗をハンカチでぬぐう多賀子夫人 =東京都港区・インターコンチネンタルホテル(撮影・千村安雄)2008年6月27日、引退会見に臨んだ滝澤氏の汗をハンカチでぬぐう多賀子夫人 =東京都港区・インターコンチネンタルホテル(撮影・千村安雄)

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滝澤 正光(たきざわ・まさみつ)

1960年3月21日生まれ、55歳。千葉県出身。79年に日本競輪学校43期生としてデビューし、84年に日本選手権(千葉)で特別競輪初制覇。87年に史上最多となる13場所連続優勝を達成し、KEIRINグランプリ(平塚)初優勝。90年に競輪祭(小倉)を制し、史上2人目のグランドスラム(特別競輪全冠制覇)を達成した。2008年6月30日に現役を引退。通算成績2457戦787勝、優勝150回。特別競輪(GI)の優勝は12回、KEIRINグランプリは2回。生涯獲得賞金17億5644万831円。現在は日本競輪学校校長。

SANSPO.COMより)

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