山口和幸の「ツールに乾杯! 2015」<2>インデュラインが意地のアタック ツールがひんぱんに訪れるクラシックの聖地

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 日本だったら言語が変わっても「横浜はYokohama、大阪はOsaka」とするのが当然だと考えるが、欧州では同じ町でも言語ごとにつづりや呼び方が変わる。第3ステージのスタート地点、アントワープがいい例だ。

第3ステージのスタート地点となったベルギー第2の都市アントワープ第3ステージのスタート地点となったベルギー第2の都市アントワープ

 ベルギー第2の都市アントワープをフランス語にするとアンベール。ベルギーではアントウェルペンと呼ばれる。ユダヤ商人によるダイヤモンド取引の拠点であり、かつてツール・ド・フランス取材で訪れたときに、ユダヤ人たちの集まる一角に足を運んでその風貌にビックリした記憶がある。黒ずくめのスーツに黒の山高帽、付けヒゲならぬ付けもみあげを耳のところに貼り付けた姿。その通りにいるすべての男性がそんな格好をしているのだから、そのときはかなりの怖さを感じた。

 コース終盤に通過したベルギー東部ワロンヌ地方の中心地リエージュも、オランダ語では「Luik」と表記される。1892年に始まった春のクラシックレース、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュで知られる自転車レースの盛んな町で、ツール・ド・フランスもひんぱんに訪問する。

ツール・ド・フランス名物の広告キャラバン隊。車上では命綱をつけて頑張っているツール・ド・フランス名物の広告キャラバン隊。車上では命綱をつけて頑張っている
リエージュの街の人たちが大会関係者や報道陣を特産品でもてなしてくれたリエージュの街の人たちが大会関係者や報道陣を特産品でもてなしてくれた

 2004年に開幕地がリエージュになったとき、パリから「リエージュ」という標識をたどってクルマを走らせていくと、だいぶ近くなったなという頃にリエージュの名前が標識から消えて途方に暮れたことがある。ベルギーに入ると標識は「Luik」と表示されるのである。そんな町の名前が変わるなんて知るよしもなかった。

ラ・フレーシュ・ワロンヌ2015で激坂「ユイの壁」を上るプロトン (写真・砂田弓弦)ラ・フレーシュ・ワロンヌ2015で激坂「ユイの壁」を上るプロトン =2015年4月22日(写真・砂田弓弦)

 第3ステージはリエージュのあるアルデンヌ地方に入ると起伏が激しくなり、ツール・ド・フランスに初めて登場する「ミュール・ド・ユイ」へ。ミュールとは「壁」という意味で、もう激坂であることは間違いない。春の重要なクラシックレース、ラ・フレーシュ・ワロンヌでの最大の勝負どころとして知られている。

第3ステージの最終局面で迎えるユイの壁はプロトンが到着する数時間前から満員に。この時、観衆はカンチェラーラの落車を伝える大型ビジョンの映像に見入っていた第3ステージの最終局面で迎えるユイの壁は、プロトンが到着する数時間前から満員に。この時、観衆はカンチェラーラの落車を伝える大型ビジョンの映像に見入っていた

 かつてスペインの“無敵艦隊”ミゲール・インデュラインが前人未踏のツール5連覇を遂げた1995年。リエージュにゴールする第7ステージでインデュラインがアタックを仕掛けたことがあった。山岳でスペシャリストと渡り合い、個人タイムトライアルで圧勝する勝ちパターンを持つインデュラインが、こういったタイム差のつきにくいステージでアタックを仕掛けるのは極めて珍しいことだった。これに乗じて地元ベルギーのヨハン・ブリュイネールが背後につき、結局インデュラインは区間2位でゴールする。

 それまでインデュラインは、「ツール・ド・フランスにしか出ない」と酷評されていた。その悔しさを胸に彼はこの地でアタックし、クラシックでも走れることを証明したかったのだ。翌日に重要な個人タイムトライアルがあるというのにである。このときのコースはリエージュ〜バストーニュ〜リエージュとほぼ同じレイアウトだった。

山口和幸山口和幸(やまぐち・かずゆき)

ツール・ド・フランスをはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い続け、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、ナンバー、ターザン、YAHOO!などで執筆。国内で行われる自転車の国際大会では広報を担当。著書に「ツール・ド・フランス」(講談社現代新書)、「もっと知りたいツール・ド・フランス」(八重洲出版)など。

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