宮澤崇史さんにも料理を提供「ティンコフ・サクソ」の台所を担うヘッドシェフ ハンナ・グラントさんインタビュー

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UCIプロロードレースチーム「ティンコフ・サクソ」のヘッドシェフ、ハンナ・グラントさん(Hannah Grant)。Cyclistのインタビューに応じたUCIプロロードレースチーム「ティンコフ・サクソ」のヘッドシェフ、ハンナ・グラントさん(Hannah Grant)。Cyclistのインタビューに応じた

 キッチントラックを備え、チームの食事の情報をウェブサイトで積極的に発信するなど、プロロードレースチームの中でも食にこだわりを持つUCIワールドチーム「ティンコフ・サクソ」。味気ない山盛りのパスタを詰め込む――といった従来の自転車選手の食風景に革新をもたらしたのが、ヘッドシェフ、ハンナ・グラントさん(Hannah Grant、32)だ。この冬、休暇を東京で過ごしているハンナがCyclistの単独インタビューに応じた。
(文 柄沢亜希・写真 瀧誠四郎)

グランツール“12連戦”中の革命児

ハンナ・グラントさん(Hannah Grant)

 ティンコフ・サクソには2011年シーズンから加入し、2015年は5シーズン目。当初から「ジロ・デ・イタリア」「ツール・ド・フランス」「ブエルタ・ア・エスパーニャ」の3大レースすべてに参加している、チーム唯一の人間だ。「この仕事はやみつきになる」と笑顔で話すハンナだが、はじめから自転車競技の仕事に従事していたわけではなかった。

 「15歳ですでにシェフになりたかった」ものの、母親の反対にあって普通高校へ通うことに。「当然、勉強には身が入らなかったわ」と振り返るハンナは、2年後に高校を飛び出し、9カ月間の海軍勤務を選んだ。その後、4年間にわたる料理学校生活を終えると、クルージングボートでおよそ1年間かけて世界を巡る個人旅行に同行する機会を得た。

 「リゾート地の港を点々としながら過ごした。食材は釣って仕入れ、デッキでさばいたわ」と快活に話すハンナ。その様子に、年に6カ月はチームとともに各国を転戦し、臨機応変に地場の食材・環境を活用していくスキルの下地は、この頃すでに養われていたことが感じられた。

ハンナ・グラントさん(Hannah Grant)

 その頃、プロ・ロードレースチームで専属のシェフを採用する気運が高まっていった。きっかけは、「欧州でのレース中に、衛生上の問題により、ティンコフ・サクソを含む多くのチームで選手がダメージを被ったこと」という。専属シェフを雇うメリットは、キッチンや食材を清潔できちんとした状態に管理し、新鮮な食材を選んで調理できることだという。

 「選手が、衛生的な環境で効率的にエネルギー摂取をするためには、パスタやチキンだけが選択肢ではないという考えに変わってきたのです。例えば野菜をもっと食べるなどしてミネラルやビタミン、抗炎症作用のある成分を摂ることで、身体を癒やし、かぜをひきにくくする効果が期待できます」

 ハンナは、男性中心の職場環境にも新しい風を吹き込ませた。「チーム内外で“異業界から来た若い女性”を歓迎しない人は少なくなかった。オールドスタイルの男性たちと闘っていくのはとてもエネルギーがいること。例えばツール・ド・フランスで大変なのは、宿泊先のシェフたちと渡り合っていくことなの。どんなにぐったり疲れていても『私は強いのよ!』っていう空気を前面に押し出して、チームの方針を貫かなければならない。チームの食事の責任を負っているのは私なのよ、とね」

選手は“レストランに毎日来るゲスト”

 世界最高峰のレストラン「NOMA」で働いた経験を持つハンナ。レストランと自転車チームの違いは、「チームには毎日同じゲストが来るようなもの」と話す。本を読むなどして選手にどんな食べ物が必要かを学ぶだけでなく、そんな“ゲスト”たちと会話をしながら「どうだった?」と感想を求めることも重要なのだという。

ハンナ・グラントさんはかつて世界最高峰のレストラン「NOMA」で働いた経験を持つハンナ・グラントさんはかつて世界最高峰のレストラン「NOMA」で働いた経験を持つ

 またハンナは、食事には空腹を癒やす以上の機能があると考えている。「雨やクラッシュ、作戦がうまくいかなくてモヤモヤした気持ちで帰ってきた選手がいたとしたら、その選手が好きなものをディナーに並べることもあるの。食事が気持ちに与える影響は絶大ね。そうそう、ステージ優勝をするとティラミスが出ることになっているわ」

 さらに見逃せないのが、食事が持つ願掛けとしての役割だ。かつてのハンナのラッキーアイテムは「“ゴールドのフライパン型をしたチャーム&ネックレス”だった」と話すように、選手にもそれぞれジンクスやおまじない、心を落ち着かせるためのメニューがあるそうだ。「ある選手は、大勝負の前日はグリーンピースを食べたがるの。料理としては簡単だから問題ないし、それが彼にとって意味のあることなら、ぜひ用意してあげたい」

 「だけどいつもワガママ放題というわけにはいかないわ。オーガニック食材主体、野菜を沢山摂るといったチームの方針もある。初めてチームに加わる選手たちにそのルールを認識させるのが、シーズン初めの仕事でもあるのよ」

「タカシは食事を少しずつ盛り合わせていたわ」とハンナ・グラントさん「タカシは食事を少しずつ盛り合わせていたわ」とハンナ・グラントさん

 2015年シーズンでいえば、イヴァン・バッソやペテル・サガンといったビッグネームが新たにチームに加わった。彼らに順応してもらうのもハンナの役割だ。そして今シーズンのチームの目標について、「アルベルト・コンタドールのジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス2冠を狙う。気を引き締めていきたいわ」と教えてくれた。

 2012年~2013年に同チームで過ごした宮澤崇史さんのエピソードもある。選手たちはみな食欲旺盛で、用意されたビュッフェスタイルの食事をわれ先にと山のように盛り付け、「ラーメンで例えるなら大盛り2、3杯分」をぺろりと平らげるという。しかし、宮澤さんだけは違っていた。

 ハンナは、「タカシはじっくり時間をかけて盛っていた。ある時、タカシのお皿を見てみると、すべての食事がていねいに少しずつ盛り合わせられていたの。私が提供した時の彩りをそのままに、まるで美しく小さな風景がお皿の上に広がっているようだったわ。思わず『タカシ、それ写真に撮らせて!』ってお願いしたくらい」と振り返った。

今回の来日中、宮澤崇史さんと日本料理を共にして旧交を温めた(写真は宮澤さん提供)今回の来日中、宮澤崇史さんと日本料理を共にして旧交を温めた(写真は宮澤さん提供)

 「タカシが美しく盛りつけたいと思ってくれたことはとてもありがたいこと。選手として本当に特別ね。なぜそうやって盛っているのかを尋ねたら、『おいしいだけじゃなくて見た目がいいということも大切なんだ』と話してくれた。楽しい思い出よ。それに、今回日本に来てみたらその理由がよく分かったの」

日本で得たインスピレーションをチームへ

 今回、初めて来日したハンナは、2014年12月からすでに2カ月半滞在。かつての自身の勤務先であり、夫のラース・ウィリアムズ氏(Lars Williams)がシェフを務めるNOMAの、東京での期間限定オープンをサポートするため、休暇を兼ねて訪れた。

 「日本食は、私のこれまでの考えを根底から覆すだけの影響力があった。なんといってもその舌ざわり! おいしいのはもちろん、素材の変化を楽しむスタイルは特徴的。ミートボールの中にコリコリの軟骨を入れたり、抹茶風味の中にゼリーや小豆を入れたスイーツがあったり…やわらかさやザクザク感はシェフとしてこれまで経験してきたけれど、日本食のこの感覚はどこにもなかったものだわ!」

自身が出版した「The Grand Tour Cookbook」(2013)を持つハンナ・グラントさん(Hannah Grant)自身が出版した「The Grand Tour Cookbook」(2013)を持つハンナ・グラントさん(Hannah Grant)

 母国デンマークでは朝の料理番組でテレビ出演し、持久系スポーツ雑誌の連載も担当しているというハンナ。2013年には、イエローがまぶしい分厚いハードブック「The Grand Tour Cookbook」(デンマーク語)を出版した。ハンナが奮闘する舞台のひとつツール・ド・フランスで、選手らに提供された23日分(21ステージと2日間の休息日)のレシピを収めた料理本だ。2015年6月には、英・仏語版が出版される予定という。

 日本文化とともに触れた日本食には「目を開かされた」と興奮し通しのハンナは、精力的とさえ言える勢いで新たな経験を重ねている。正月には東京・神保町の懐石料理店で2日間、おせち作りを手伝った。また旅行者に人気の寿司や刺身だけでなく、焼き鳥、つけ麺、ちらし寿司、ちゃんこ鍋とバラエティー豊かに食を楽しんだ。

 ハンナは、「本当に沢山のインスピレーションを得ているわ! ことしはチームでも、焼き鳥のようなものが登場するかも。みんなが驚かないようにゆっくり、少しずつ…ね」とささやいた。そして最後に「食べても罪に思わないような正しい食事を出せることが、私のゴールね」と選手たちにとって頼もしいコメントで締めくくった。

◇         ◇

 ロードレースのプロチームのシェフは、料理を作るだけが仕事ではない。「運転もすれば買い物にも出るし、交渉もウェイターもする。そして時にエンターテイナーにもなるわ」と語るハンナは、実に楽しそうに笑った。2015年シーズンは、3月8日から15日に開催される「パリ~ニース」が初戦になるという。

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