山下晃和の「ツーリングの達人」・アジア編<3>1600kmを走り国境を自分で漕いで越える感動 バングラディシュで人と接する楽しさを再認識
ネパール、インド、バングラディシュ3カ国を9月22日から10月28日にかけて巡った自転車旅。ネパールでは、タライ平原にあるチトワン国立公園というジャングルの町を最後にツーリスティックな雰囲気はなくなりました。東進するごとに国道のアスファルトの粒が大きくなり、路面のノイズを拾ってしまいます。こうなると、スピードがなかなか出せません。一日の距離を稼ぐためにも、まだ暗がりのうちから用意をはじめ、早朝6時には出発するようにしました。
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気持ちよくてたまらない“ネパールゴールデンタイム”
毎朝、真っ白い霧がかかったモヤモヤの中をスタート。7時頃になると、東から、つまり進行方向から朝焼けが現れます。すると、朝モヤと太陽の光が混じって、目の前に金色の世界が広がりました。同行していた友人、沖本真くんは、この約1時間を“ネパールゴールデンタイム”と呼んでいました。

ネパールゴールデンタイムは旅サイクリストでしか体験できない幻想的な世界でしょう。平原でも朝霧が風で流れない天候、道路がまっすぐで東に向かっていること、さえぎる高さの木や建物がないことなど、気象や土地の条件がそろっていないと起こりえません。また、この時間を自転車でゆっくり走るのが気持ち良くてたまらない!
観光地のホテルにあったWi-Fiもなくなりました。物価は3分の1くらいになり、水は20Rs(約20円)、ダルバートは1食150Rs(約150円)…と底値をどんどん更新。国道には、野生の動物が増え、鳥のさえずりは近くに聞こえ、時にコウモリの大群が木々に止まっているのが見え、道のど真ん中に猿の家族が現れたりしました。
英語も通じにくくなり、交渉は難儀しましたが、値段が安く、お釣りもちゃんと返してくれるので、われわれには警戒心がありませんでした。


宿は、トラックドライバーが利用する簡素なものになり、ベッドにシャワーとトイレが付いただけ。もちろん、シャワーは水のみ。小さな和式のような形状のトイレで、便座はなく、トイレットペーパーもなくなりました。すなわち、左手の指でお尻を拭くのが正式のスタイル。
レストランでは、スプーンやフォークが出なくなり、手で食べることに慣れ、ネパールの電気不足を補う停電タイムが長くなり、ろうそくを使うように。じつにシンプルな生活になりました。沖本くんと「こういった不便はなかなか日本では感じられないから、かえって貴重だよね」と話していました。ネパール人の生活に溶け込んでいるような自分に気づくと、嬉しく感じるから不思議です。電気が再び通ったときに、村人と同様に「おお!」と叫んでいました。
後ろにぞろぞろ…なんでこんなに人が?!

10月13日、ネパールからインドの国境を越えてすぐの町シリグリで、沖本くんとお別れしました。沖本くんがインドのコルカタを経由して日本へ戻るのに対して、僕は単独でバングラデシュへと漕ぎ進みました。
バングラデシュではさらにシンプルな生活になり、今までの国にない独特の雰囲気でした。活気のあるバザールには、竹や木を大量に運ぶ人、鶏の首をちょん切る肉屋さんの少年、魚が大量に積まれたテーブル――。面積が日本の4割に満たない小国にもかかわらず、人口は1億5000万人以上と言われ、日本よりもはるかに多く、世界一の人口密度と言われているのも理解できました(特に首都ダッカ)。
貧困の村々を転々としたことで、凄まじい現実に直面したのも事実です。かつての日本はこういう世界だったのかもしれませんが、僕らは生まれた時から便利なものに囲まれていて、一日三食のご飯が当たり前だったので、衝撃は大きかったです。


バングラデシュで最初の町パットグラムに入ると、大勢の人に注目され、その後ろをぞろぞろとついてきます。まるで童話「ハーメルンの笛吹き男」状態。部屋で荷解きをした後、再び町に行くと、やはり人が集まって来ました。「一緒に写真を撮ろう」「名前は?」から始まり、出身国、宗教、何でここに来たのか、バングラデシュは好きか――などと質問攻めにあいます。
それがこの町だけ特別なのかと思っていたら、次の日もまた次の日も、休憩や宿泊の度に「なんでこんなに人がいるのよ?!」という状況になり、毎日大笑いしました。


外国人が珍しいという理由以外にも、特に日本はODA(政府開発援助)政策によりが多額のインフラ整備投資をしているので、日本人をヒーローのように思うらしいのです。チャイ(紅茶)をご馳走になることも多く、甘いお菓子(ミシュティというドーナッツ)までいただきました。バングラデシュでは、「ドンノバード!(ありがとう)」という言葉をたくさん使いましたね。

文化、言葉、風土の変化を全身で感じ取れる自転車旅

バングラデシュ人は敬虔なイスラム教徒が多いので、日の出前のアザーン(お祈り)から一日が始まります。そのゆるやかな旋律が心地よい目覚ましになり、出発準備をした後、黄緑色に輝く広大な田園風景の中を自転車で走り出します。リキシャで竹や薪を運ぶオジサンたちと「アッサラームアライクム(こんにちは)」などとあいさつを交わし、村の子供たちが「ハロー! ハロー!」と言って追いかけて来ました。
CNG(シーエヌジー)と呼ばれるオート三輪バイクに、たくさんの人を詰め込んだ通勤風景、そのCNGを待っているヒジャブに身を包んだ女性と、抱え込んでいる赤ちゃん、その横をネパールと同じように轟音で通り過ぎていく大型バス。このせわしない感じと人懐っこさがバングラデシュ流です。治安も想像より良く、皆親切で、人と接することの楽しさを再認識させられました。自転車旅オススメですよ!



自転車で走っていると湿度を含んだ熱帯の風が心地よく、淡い青色の空には日本の夏雲のようなもくもくした雲が浮かんでいて、「地球を走っているんだ」ということを実感しました。町の間隔も狭く平らな道が多いので、体力に自信がない人でも大丈夫でしょう。
ネパールの首都カトマンズから走り出した国道は、インドの西ベンガル州を経由して、10月19日に到着したバングラデシュの首都ダッカまできちんと繋がっていました。自転車は1日100kmしか進めませんが、1カ月ほどで3カ国の国境を越えられるほどのポテンシャルを持っています。
地図やインターネット上では繋がっていることは分かっていても、いざそのボーダーを自分の脚で漕いで越え、自分の目で見ると、言葉にできない感動があります。自転車旅は、文化、生活、言葉、風土の変化なども全身全霊で感じ取ることができます。そして、旅路の果てから帰国した後も、「行って良かった」というハッピーがずっと続くのです。



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次回は、1カ月とちょっと、およそ1600kmを走った自転車アイテムとギア編です。

タイクーンモデルエージェンシー所属。雑誌、広告、WEB、CMなどのモデルをメインに、トラベルライターとしても活動する。「GARRRV」(実業之日本社)などで連載ページを持つ。日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)評議員でもあり、東南アジア8カ国、中南米11カ国を自転車で駆けた旅サイクリスト。その旅日記をもとにした著書『自転車ロングツーリング入門』(実業之日本社)がある。趣味は、登山、オートバイ、インドカレーの食べ歩き。ウェブサイトはwww.akikazoo.net。