2015年シーズンも「ウィグル・ホンダ」で契約継続「環境が自分を強くしてくれる」 欧州プロ生活2年目を終えた萩原麻由子インタビュー

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 現在、日本人女子選手として唯一UCI(国際自転車競技連合)登録のプロチーム「ウィグル・ホンダ」(イギリス)に所属する全日本ロード女王の萩原麻由子。欧州で2シーズンを過ごした彼女は、2015年の契約を無事に終え、来季も同チームで戦うことが決まった。本場の厳しいレースで成長を続ける萩原に、今後の抱負や、2020年東京オリンピックへの思いを聞いた。(聞き手 田中苑子)

今年の全日本選手権で優勝。1年ぶりにチャンピオンジャージに袖を通した(田中苑子撮影)今年の全日本選手権で優勝。1年ぶりにチャンピオンジャージに袖を通した(田中苑子撮影)

ロンドン五輪出場を経て、本場ヨーロッパのチームへ

 1986年、群馬県生まれで現在28歳の萩原麻由子。彼女の名が脚光を浴びたのは、鹿屋体育大学在学中の2006年、カタール・ドーハで開催されたアジア競技大会の自転車ロードレースで優勝したときだろう。日本人女子として初めて、ロードレース種目で金メダルを獲得し、また当時大学2年で20歳という若さも大きな話題となった。

全日本選手権ロードでは最後の登坂区間で恩師、三浦恭資氏の声援を受けて逆転勝利を果たした(田中苑子撮影)全日本選手権ロードでは最後の登坂区間で恩師、三浦恭資氏の声援を受けて逆転勝利を果たした(田中苑子撮影)

 2009年に大学を卒業すると、自転車販売業の株式会社あさひに就職し、元全日本チャンピオンの三浦恭資氏が指導する「サイクルベースあさひ」チームに加入。働きながら競技生活に打ち込み、2010年から12年まで全日本選手権ロードレース3連覇、個人タイムトライアルでは2008年から5連覇を達成する。そしてロンドン五輪へ出場した後の2012年末にウィグル・ホンダへの移籍が決まった。

 ウィグル・ホンダは、翌2013年から活動を始める新チームながら、各国のナショナルチャンピオンが数多く所属する女子のトップチームだった。鹿屋体大時代から、本場ヨーロッパでプロ選手になることを夢見ていた萩原は、働きながら国内チームで走り、3年後にようやく夢のスタートラインに立った。

 「遠回りをしたと思われるかもしれませんが、私としては『サイクルベースあさひ』での経験があったからこそ、ヨーロッパの厳しい世界にきてもやっていけているのかなと感じています。必要なステップだったと思っています」

 「3年ほど社会人を経験して、社会的な常識を身につけることができました。結果を出すという責任感や、選手として今後生きていくための精神力などを鍛えることができた場所だったと思います。いま振り返ると、自転車競技をやるうえで何不自由なく、自立しながら競技に専念できる素晴らしい環境だったと思います」

世界選手権個人タイムトライアルのスタート直前に緊張した面持ちでヘルメットをかぶる(田中苑子撮影)世界選手権個人タイムトライアルのスタート直前に緊張した面持ちでヘルメットをかぶる(田中苑子撮影)

 実は当時、「ロンドン五輪に出場できたらヨーロッパのチームに移籍したい」という強い希望があったと打ち明ける。会社にはその気持ちを伝えたものの、翌年のことを決める8月までに欧州プロチームの移籍先が見つからなかったので、「もう1年あさひに在籍させてください」と自ら社長へ頼んだ経緯もあるという。しかし9月になって急きょ、ウィグル・ホンダへの移籍話が舞い込み、10月に前言を撤回して欧州へ行きたい旨を伝え、会社側の承諾を得て12月に退社した。

 「私の決断を寛大に認めて下さったあさひには、とても感謝しています」との気持ちを胸に、2013年より念願だったヨーロッパでのプロ選手生活がスタートする。

「何もかもがまったく違う」 欧州1年目は苦労の連続

 寒さの残る早春にベルギーへと1人で旅立ち、新しい生活がスタートした。もちろん覚悟はしていたものの、初めてのヨーロッパでの生活、そして女子のプロチームでのレース活動は、苦労と驚きの連続だったという。

 「何もかもがまったく違う。今まで26年間培ってきた自分の常識がまったく通用しないと思いました。レース面でも生活面でも、精神面でも。車線が左右逆なように、すべてが日本と逆で、とにかく驚きました。ちょっとした違いだったらストレスになっていたかもしれませんが、とにかくすごい違いで…。でも自分が一番やりたかったことなので、大変であればあるほど意欲がわいてきました」

 そんな環境で始まった2013年シーズン。6月には帰国して全日本選手権に出場したが、連覇を続けていたロードレース、個人タイムトライアルともに敗れてしまう。ヨーロッパでの慣れない選手生活に加え、ヨーロッパと日本との移動で調整がうまくできず、「自分の力をまったく発揮できなかった」と振り返る。そしてこの大会に象徴されるように、「1年目はチームに迷惑をかけてばかりで、自分がどこを走っているのかもわからない状態だった」という苦しいシーズンを過ごした。

 このとき「ウィグル・ホンダ」との契約は1年契約だった。「まったく走れなかった」と振り返る萩原だが、チームはさらに契約を1年間更新し、彼女にチャンスを与えてくれた。その恩もあって、2年目には「チームに貢献したい」と強く思うようになり、大きな飛躍のシーズンとなった。

女性版ジロ・デ・イタリアで掴んだチャンス

日本チャンピオンジャージを着て女性版ジロ・デ・イタリアを走る(photo/Bart Hazen)日本チャンピオンジャージを着て女性版ジロ・デ・イタリアを走る(photo/Bart Hazen)

 「だんだん自分がやらなきゃいけないことがわかって、それができるようになった。そうしたら、メンバー選考に入ることができ、いいレースに連れて行ってもらえるようになった。自分の得意なレースに選んでもらうことも増えました。私が何者だっていうことが周りにわかってもらえて、世界が開けてきたような感じ。まだまだなんですが、少し目の前が開けてきたのがわかりました」

 チームでは、逃げをチェックしたり、ゴールスプリントになるように集団を引いたりというアシストの仕事が中心となるが、今年初めて出場したジロ・ローザ(ジロ・デ・イタリアの女性版)では、大きなチャンスが訪れた。

 前日の厳しいステージで、多くのチームメートが総合上位から脱落したが、萩原の調子は良く、総合順位で上に残っていた。第3ステージは山岳の始まる日だったが、チーム監督から「チャンスがあればトライしてみろ」という指示が出た。“エース”として走れるチャンスは、この日が初めてだった。その日のレースでは、チームメートがボトルを運んでくれたり、エーススプリンターであるジョルジャ・ブロンツィーニ(イタリア)が積極的に逃げに乗ったりと、「非日常的なことが起きていた」と振り返る。

ジロ・ローザ第3ステージでステージ3位でゴールした(photo/Bart Hazen)ジロ・ローザ第3ステージでステージ3位でゴールした(photo/Bart Hazen)
ジロ・ローザ第3ステージで表彰台に上った(photo/Bart Hazen)ジロ・ローザ第3ステージで表彰台に上った(photo/Bart Hazen)

 そしてゴール前の上りに向けて、逃げグループが崩壊し、ジョルジャが後退してきた瞬間、「吸収してからアタックするのは定番の展開。ジョルジャが捕まったあとでは遅いと思って」と渾身のアタック。萩原のアタックに付いてきた選手はなく、逃げ続けている先頭の選手に単独で合流し、結果的にステージ3位でゴールした。

 ジロ・ローザの直前に開催された全日本選手権では、1年前の悔しさを晴らすべく圧巻の勝利を挙げていた萩原。出来上がったばかりの日本チャンピオンジャージを着て、満面の笑みでビッグレースの表彰台に立った。

五輪出場は最低条件 「チームで一緒に戦いたい」

 その後も順調なシーズンを送った萩原だったが、8月末のワールドカップで落車し、膝を負傷。9月末の世界選手権では個人タイムトライアルでは18位だったものの、ロードレースでは膝の痛みで思うような走りができず、悔しさを味わった。しかし今は、来シーズンに向けて気持ちを切り替えている。

レース前に膝のテーピングを行う。思うような練習ができずに臨んだ世界選手権だった (田中苑子撮影)レース前に膝のテーピングを行う。思うような練習ができずに臨んだ世界選手権だった (田中苑子撮影)
世界選手権個人タイムトライアルのスタート台にて、スタートを待つ(田中苑子撮影)世界選手権個人タイムトライアルのスタート台にて、スタートを待つ(田中苑子撮影)
世界選手権個人タイムトライアルを走る萩原麻由子。今年は18位、初めて世界のトップ20に入った(田中苑子撮影)世界選手権個人タイムトライアルを走る萩原麻由子。今年は18位、初めて世界のトップ20に入った(田中苑子撮影)
世界選手権ロードレース、登坂区間で勝負が始まったときにメーン集団から遅れてしまった(田中苑子撮影)世界選手権ロードレース、登坂区間で勝負が始まったときにメーン集団から遅れてしまった(田中苑子撮影)
世界選手権ロードレースでは52位でゴール。大きな悔しさの残る結果だった(田中苑子撮影)世界選手権ロードレースでは52位でゴール。大きな悔しさの残る結果だった(田中苑子撮影)

 「とにかく1年1年、発展させていきたい。オリンピックや世界選手権を節目にして、その都度、出場することを最低条件とし、そこからトップ30、20、10、5と、どんどん目標を上げていき、それを達成させたいですね」

 「あとは東京オリンピックがあるので、そこを目標として、日本人女子選手が“チーム”として戦えるようになるといいと思います。ヨーロッパで走る選手が増えて、それがナショナルチームとして集まって、一緒に戦いたい。世界の集団内で、日本という存在感をアピールできて、さらに世界に脅威を与えるのが自分の1つの夢ですね」

 良くも悪くも、女子ロードレースの頂点で戦うたった1人の日本人選手。「この環境は自分にとってはプラス。楽なところにいると甘えてしまうけれど、楽でないところにいると、もっと言葉を勉強しようとか考える。環境が自分を強くしてくれる。自分で切り開くしかない」と志は高い。

 「今の環境は自分に合っているとは思うけれど、このギリギリ擦り切り一杯みたいな状況をずっと続けていこうとは思わないから、もっと自分の希望するステージにいくために、ステップアップしていきたい」

2015年シーズンに向けて

日本ナショナルチームでは、後輩の女子選手たちから慕われる存在(田中苑子撮影)日本ナショナルチームでは、後輩の女子選手たちから慕われる存在(田中苑子撮影)

 オフシーズンは、痛めた膝を完治させ、心身ともにリセットさせるのが第一の課題。そして「満を持して次の2015年に突入したい。冬場のトレーニングはとても大事。ヨーロッパには“宿題をしないで授業に行く”という風にはしたくない。そんな風に行ったら叩きのめされることを十分に承知しているので、やり残すことがないようにしたい」と語る。

 萩原は2015シーズンも無事に「ウィグル・ホンダ」との契約を更新した。華奢な身体のなかに、強い精神力を潜ませて、ヨーロッパ3年目のシーズンを迎えようとしている。現在、UCIのブライアン・クックソン会長が、女子カテゴリーの強化に熱心に取り組んでいることもあり、女子カテゴリーは年々注目され、レースが増えてレベルも上がっている。そんな世界最高峰の舞台で戦い続ける彼女を、これからも応援していきたい。

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2020東京五輪 インタビュー 萩原麻由子

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