パソコンと一眼レフカメラを背負って完走被災地の“いま”を胸に刻み込む 産経新聞記者が走った「ツール・ド・東北」

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 宮城県の被災地を自転車で走るイベント「ツール・ド・東北」。東日本大震災からの復興を支援しようと、9月14日、全国から集まった約3千人のサイクリストが被災地を駆け抜けた。その舞台となった石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市の2市2町を、記者も3千分の1の風になって走った。(文・写真 産経新聞東北総局釜石駐在 高木克聡)

倒壊した建物の脇を走る参加者たち=9月14日、宮城県女川町倒壊した建物の脇を走る参加者たち=9月14日、宮城県女川町

思いもかけない“当日出稿”に慌てる

 勤務表では、ツール・ド・東北の大会前日は仙台市の「産経新聞東北総局」での勤務、大会当日は休日の予定となっていた。そこで大会には休みを利用して参加し、「後日、なにがしかの記事になれば…」などと気軽に考えていた。

 しかし大会の数日前、東北総局のデスクとの雑談で「ツール・ド・東北に出るの?」と聞かれ、状況は一変する。

 「じゃあ、当日は原稿よろしく」

 つまり、大会を走り終えてすぐ、産経新聞に掲載する原稿を出稿しろということだ。

 学生時代から始めた自転車。京都―金沢や、東京―京都間を走ったこともある。2年前、エボラ出血熱で最近のニュースをにぎわしている西アフリカのギニア共和国へ長期派遣されていたときにも、約400km走ったっけ。

交通安全の人形も参加者らを見守る=宮城県石巻市交通安全の人形も参加者らを見守る=宮城県石巻市

 ただ、きついことが嫌いな私は、これまで1日150km以上走った経験はなかった。今回は170kmコース以上に挑戦するつもりだった私の体力はギリギリで、完走できるかどうかも分からない。荷物は極力持ちたくなかったが、新聞へその日のうちに出稿するとなれば話は別だ。不測の事態に備え、いつでも原稿を送る用意はしておかなければならない。

 大会に備え、前日の勤務を取り消しにしてくれたデスク。また、普段は車で3時間ほど離れた岩手県釜石市に駐在する私のために、大会前日と当日の2連泊を認めてくれた東北総局長の顔を思い浮かべると、「自転車に集中したいので当日出稿はできません」とは口が裂けても言えなかった。(翌日の紙面で全国版社会面に掲載されたことを考えると、この判断は間違いではなかったのだが…)

 こうして、パソコンや一眼レフカメラなど取材道具一式を背負いながらの出走となった。「これが新聞記者という仕事の重みか…」。1人つぶやいた。

霧の中スタート 朝日がまぶしい

朝もやの中、スタートしたツール・ド・東北。約3千人が被災地を駆け抜けた=宮城県石巻市朝もやの中、スタートしたツール・ド・東北。約3千人が被災地を駆け抜けた=宮城県石巻市

 2回目を迎えた今大会は、気仙沼市の市街地まで走る220kmのコースが追加され、60km、100km、170kmの計4コースが設定された。

 午前5時半からのスタートとあって、4時に起床。当然辺りは暗く、肌寒い。澄んだ空にはオリオン座が輝いていた。

 スタート地点は石巻市の石巻専修大学。市内は一転して、旧北上川から濃い霧が立ちこめ、せっかくの朝日もぼやけてしまっていた。

 スタートから40分ほど走ると、海沿いの国道398号に出た。朝日はまぶしく、海面にはキラキラと輝く太陽の道が浮かび上がっていた。しばらくJR石巻線と並行に走っていると、宮城出身の漫画家、石ノ森章太郎による仮面ライダーなどのキャラクターが描かれた列車「マンガッタンライナー」がやってきた。女川駅まで続く石巻線は、平成27年春に全線復旧の予定で、浦宿―女川間がまだ復旧されていない。ライダーたちは、浦宿駅でマンガッタンライナーと別れを告げた。

漫画の王様と呼ばれた石ノ森章太郎のキャラクターが描かれた特別列車、マンガッタンライナーも参加者を見守った=宮城県石巻市漫画の王様と呼ばれた石ノ森章太郎のキャラクターが描かれた特別列車、マンガッタンライナーも参加者を見守った=宮城県石巻市
220キロコースには、コスプレで走る強者も。上級者のこうした余裕はイベントを大いに盛り上げた=宮城県女川町220キロコースには、コスプレで走る強者も。上級者のこうした余裕はイベントを大いに盛り上げた=宮城県女川町

三陸の特産品を原動力に、思い出の地へ

 お腹が重い。前日の食事がいけなかった。大会本番の前に取材した民泊提供者の斎藤伊平さん(59)。「何か手伝いたい」と前回から出場者をもてなし、大会を裏で支えている。現在はカキの養殖を営んでいるが、なんでも、数十年前は北上川で漁が盛んだったウナギの仲買人を家業としていたとか。その名残か、偶然にもウナギを出す居酒屋を見つけ、特上うな重を食べたのだった。

最初の休憩所では女川町の特産のサンマのすり身を使った女川汁が出迎えた=宮城県女川町最初の休憩所では女川町の特産のサンマのすり身を使った女川汁が出迎えた=宮城県女川町
雄勝町の第2休憩所ではとれたての焼きホタテ。香ばしい醤油のにおいが参加者を引きつけた=宮城県石巻市雄勝町の第2休憩所ではとれたての焼きホタテ。香ばしい醤油のにおいが参加者を引きつけた=宮城県石巻市
神割崎の休憩所ではサケの唐揚げが用意された。脂の乗った身は、鶏肉にも負けないジューシーさだった=宮城県南三陸町神割崎の休憩所ではサケの唐揚げが用意された。脂の乗った身は、鶏肉にも負けないジューシーさだった=宮城県南三陸町

 お腹の中でウナギが暴れている。平坦な道でもボディーブローのように効いてくる。なんとか女川の町へ入る。横倒しになったままの旧女川交番などを通り抜けると、最初の休憩所。出し汁と塩で味付けされたサンマのつみれ汁がお腹にやさしい。観光協会や商工会のお母さんたちが5時から作ったものだ。女川は仲買人たちの目が肥えていて、漁師は最も新鮮なサンマを、高値をつけてくれる女川へ持ってくるといわれる。この日は100kgのすり身が用意された。各休憩所で参加者を出迎えてくれる三陸の特産品が、文字通り参加者の原動力となる。

記者の思い出の崎山展望公園。地震の影響で中は地割れが起こっており、今は立ち入り禁止となっている=宮城県女川町記者の思い出の崎山展望公園。地震の影響で中は地割れが起こっており、今は立ち入り禁止となっている=宮城県女川町

 女川町の次は、山を1つ越えて石巻市雄勝地区に向かう。峠にある崎山展望公園にはちょっとした思い出がある。震災直後の平成23年5月。産経新聞東京本社経済部に所属し、震災取材には直接携われなかったが、ゴールデンウイークを利用して個人的に取材などをしながらバイクで東北を旅した。そのとき、テントを張ったのがこの公園だった。電気も水道も止まった公園の暗闇の中で見た、こぼれんばかりの星空は忘れられない。いまは完全に封鎖され、立ち入り禁止となっている。

自分の目で見る、あの日の悲劇の現場

 峠を下った先にある石巻市雄勝町の休憩所では、この日の朝に水揚げされたばかりの焼きホタテが振る舞われた。醤油の焦げた香ばしいにおいが鼻をくすぐる。その勢いを利用してひと山越えると、児童・教職員84人が犠牲となった市立大川小学校のあった石巻市釜谷地区に出る。

いったんコースを外れ、多くの児童が犠牲となった市立大川小へ向かう参加者たち=宮城県石巻市いったんコースを外れ、多くの児童が犠牲となった市立大川小へ向かう参加者たち=宮城県石巻市

 参加者たちはあの3月11日に起こった悲劇の現場を避けて通ることはできない。多くのライダーがコースから少し離れ、大川小学校の前で手を合わせていた。新潟県長岡市の男性会社員(48)は「テレビではいいところしか映らないけれど、現実はすさまじい。ちゃんと自分の目で見ないと」とかみしめるように話した。

 北上川に沿って北東に進むと、リアス式海岸特有のアップダウンの激しい道が始まった。この辺りから脚がつって休む参加者らの姿がちらほらと目につき始める。登りが大嫌いな記者の心も、すでに折れている。

 急な坂道では友人の背中を押しながら走る人、強烈な向かい風には、一団の先頭に立って後続の風よけとなる人―。自転車ならではの助け合いの姿に感動しつつ、坂にさしかかると写真撮影を口実に降車し、シャッターを切るふりをしながら歩いて上った。

昭和35年のチリ地震津波以来、南三陸町と友好関係にあるチリ共和国のイースター島。寄贈されたモアイ像は町のシンボルだ=宮城県南三陸町昭和35年のチリ地震津波以来、南三陸町と友好関係にあるチリ共和国のイースター島。寄贈されたモアイ像は町のシンボルだ=宮城県南三陸町
仙台市から青森県八戸市までを結ぶ三陸沿岸道路の工事も着々と進んでいる=宮城県南三陸町仙台市から青森県八戸市までを結ぶ三陸沿岸道路の工事も着々と進んでいる=宮城県南三陸町
津波が来る瞬間まで高台への避難を呼びかけていた南三陸町の旧防災対策庁舎。多くのライダーが手を合わせた=宮城県南三陸町津波が来る瞬間まで高台への避難を呼びかけていた南三陸町の旧防災対策庁舎。多くのライダーが手を合わせた=宮城県南三陸町

力を振り絞り、ギリギリでゴール

伊里前の仮設商店街ではタコとめかぶのシーフードカレーが振る舞われた=宮城県南三陸町伊里前の仮設商店街ではタコとめかぶのシーフードカレーが振る舞われた=宮城県南三陸町

 なんだかんだと文句をいっているうちに、なんとか折り返し地点にたどり着く。しかし、無事にゴールできるのか? 沿道の温かい応援に慣れたせいか、無人の車から人が手を振っているような気がしたり、道ばたの看板がおばあちゃんに見え、思わず挨拶したり…体力の限界が近い。

 最後の休憩所、石巻市北上町で、アワビ入りの冷製茶碗蒸しをかき込む。ほんのりあまじょっぱい余韻に浸る間もなく、どこかの知らない集団に風よけになってもらったりしつつ、最後の力を振り絞る。ゴールにたどり着いたのは、制限時間までわずか4分を残した午後5時26分だった。ギリギリで友の処刑に間に合ったメロスの気分だった。

最後の休憩地点のにっこりサンパーク。アワビの入った冷製茶碗蒸しの手助けで、ゴールまで残った力を振り絞る=宮城県石巻市最後の休憩地点のにっこりサンパーク。アワビの入った冷製茶碗蒸しの手助けで、ゴールまで残った力を振り絞る=宮城県石巻市

 参加者らはそれぞれ、さまざまな思いを抱きながら過酷な道のりに挑んだ。レースのあと、いろんな特産品を食べたにも関わらず体重は3kgほど落ちていた。

 埼玉県春日部市の会社員、大内理雄(りお)さん(30)は「全国のニュースでは報道されない被害がある。『こういう爪痕があるから、まだまだ東北に行こう』と伝えたい」と話した。リタイアした人も完走した人も、被災地の“いま”を胸にしっかりと刻み込んだはずだ。

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