日向涼子のサイクリングTalk<8>スポーツバイクのすそ野を広げたい 「リンケージサイクリング」田代恭崇さんインタビュー
ロードレースの全日本選手権を2度制覇し、2004年アテネ五輪に日本代表として出場。引退後はブリヂストンサイクルに入社。2013年には「Team TAUGE Japan」の一員として、アルプスの過酷な山岳ステージレース「オートルート・アルプス」に参戦し、日本人として初の完走を果たす――

この輝かしい経歴の持ち主、田代恭崇(たしろやすたか)さんが、独立してスクールを開く!という噂を耳にした時、初めは「シリアスレーサーに向けたコーチングをするのだろうか」と想像しました。ところが、彼が代表を務める「リンケージサイクリング」(神奈川県藤沢市)のホームページを開くと、真っ先に飛び込んでくるのは、女性と楽しそうに走っている田代さんの姿。その写真の下には、「トライアル」「ポタリング」「フィットネス」など競技とは縁遠い単語が続きます。自転車専門誌で連載を持ち、コーチングについて評価を得ているにも関わらず、なぜあえて「初心者」に目を向けるのでしょうか。私自身、「レースで頑張るのもいいけれど、のんびり走るのも楽しい」と思い始めてきたところだったので、俄然興味が湧き、さっそく取材を申し込んだところ、快く応じてくださいました。
ハンドルのどこを持ったらいいのかわからない
日向:こちらのホームページを見たところ、「体験サイクリング」をはじめとした強度の低いサイクリングイベントが多いのが印象的でした。レース志向ではなく、初心者を対象としたイベントを中心にしている理由をお聞かせください。
田代:日向さんは初めてロードバイクに乗ったとき、すぐ走れるようになりました?
日向:うーん…あっ!シフトチェンジのやり方が分からなくて、適当にガチャガチャやっていたら、一番重いギアに入ったまま戻すことも出来なくなっちゃって…。自転車屋さんへ駈け込んで「すみません、どうやったら軽いギアになりますか?」って聞きました(笑) あの時の、あっけにとられた店員さんの顔は忘れることが出来ません。
田代:でしょう? 初めてロードバイクに乗った人は、まず、ハンドルのどこを持ったらいいのか分からない。ブレーキが横から縦になっただけで混乱してしまうんですよ。誰にでも「初めて」があるんです。それなのに、自分が慣れると初心者の気持ちが分からなくなってしまう人が多い。購入した自転車屋さんが面倒見の良いところだったらいいけれど、中には、売ったらおしまい、というお店もありますからね。
日向:私が初めて買ったスポーツバイクはクロスバイクなのですが、購入前には「買ったら毎週見せに来てくださいね」と言ってくれたので、「ここは信用できる」と真に受けて本当に毎週行ったら、3回目には「用事もないのに何しに来たの?」という顔をされて…(苦笑) しばらくは自転車屋さんに苦手意識を持つようになってしまいました。
田代:ショップは売るのが仕事ですからね。アフターケアに力を入れていないお店もあるでしょうし、チームがあるショップで購入しても、「初心者が交じったら迷惑じゃないかな」「ついていけなかったらどうしよう」と、お客さんの方が遠慮してしまう場合が意外と多いんです。

日向:良いショップさんとの出会いも、自転車を好きになるかどうかのカギかもしれませんね。
田代:日本には、スポーツバイク初心者の受け皿が本当に少ない。ウチに来てくださるお客様の中には、名古屋から来られる方もいるくらいです。
日向:わざわざ名古屋から! 確かに、何も知らずに買うにはロードバイクって高いですもんね。勢いで買って持て余してしまうよりはいいかもしれません。こちらはバイクを販売していないから、売りつけられる心配もないし(笑)
田代:僕は選手時代のほとんどをヨーロッパで過ごしたのですが、むこうでは強いクラブチームでもクラブハウスの会員は初心者からトップ選手まで本当に幅広い層がいて、初心者は初心者で楽しめるシステムがある。リンケージサイクリングは、そんな存在になれたらいいなと思っています。
日向:ヨーロッパで見てきたことがヒントになっているのですね。
田代:選手を引退した後はブリヂストンサイクルに入社して広報を担当していたのですが、そこで一般の方を対象としたサイクリングイベントを開催していたことも良い経験になりました。
優しく丁寧な案内は“紳士のエスコート”
リンケージサイクリングのコンセプトを伺ったところで、藤沢市片瀬にある施設から湘南の海までサイクリングをすることに。田代さんの、見た目どおり優しく丁寧な案内に導かれると、まるで紳士からエスコートをされているような気分になりました。
日向:田代さんはどちらのご出身ですか?
田代:東京です。選手だった頃は埼玉に寮がありましたが、神奈川には地の利がありませんでした。

日向:では、なぜ湘南を選ばれたのですか?
田代:海を見ると、それだけで楽しい気分になりません?
日向:なります! クロスバイクしか持っていなかった頃は、毎週のように鎌倉までポタリングしていたことを思い出していたところです。
田代:自転車を購入しようか迷っている人、これから始めようと思っている人にとって、ロケーションはすごく大切だと思っています。
日向:確かに、今でこそヒルクライムが好きで山へ行くことが多いですが、最初から山へ連れていかれたら、自転車を好きになれたかどうか怪しいですね(笑) まずはポタリングで自転車の楽しみを知ったからこそ、今の私があるのかもしれません。
海を眺めていると、自分が初心者だった頃の思い出が蘇ります。
自転車を持て余したら…少人数のイベント参加を
もともとはクロスバイクとロードバイクの違いすら分からなかった私。初めて購入したクロスバイクも、しばらくはロードバイクだと思い込んで乗っていたほど…(「ハンドルが違うじゃん!」と言わないでくださいね。男性が女性の髪形の変化に気づかないように、男性にとっては当たり前のことが、女性にとって当たり前でなかったりするのです)。

他にも、パンク修理を初めて見た時は、「タイヤの中からタイヤが!」と驚いたこともありました(正確には、タイヤの中から出てきたのはチューブですが、当時はタイヤといえばクルマのようなチューブレスタイヤしか知りませんでした)。
田代:女性は、男性が驚くような状態で乗っていることが多いですね。
日向:ですよね(笑) 千葉県と茨城県の県境かなあ。人も車もめったに通らないようなところでパンクしちゃって、タイヤを見たら中から糸が見えていました。まさか、タイヤがすり減るなんて考えてもみなかったんです。
田代:よく女性一人でそこまで走りましたね。

日向:今思えば無謀でしたね。豪胆な性格が幸いして、周りから見たら「大事件」なことも、本人にとっては「小さなうっかり」としか思わなかったというか。私の場合、失敗をすることで知識がついてきたタイプ。でも、私のようなやり方は、正直オススメしません(笑) そもそも、多くの人…特に女性は、ひとりで走るうんぬんの前に、スポーツバイクを購入しても持て余してしまうのではないかと不安があると思います。
田代:購入を検討しているのであれば、いろいろ考えて頭でっかちになる前に、試乗ができる販売店などで実際に乗ってみるといいと思います。そうしたら自分にあった楽しみ方が見えてきて、購入する自転車もイメージがつきやすい。持て余してしまったら、ウチでも開催しているような少人数のイベントに参加するのがおすすめです。時間を共有することで友達が出来るし、新たな自転車の楽しみを発見することもありますよ。自転車は一人で楽しめるものだけど、一人だとやめてしまうものでもあります。
日向:私も一人で走ることが多いのですが、たまに仲間と走ると違った楽しさがありますね。

田代:最初は遠慮がちだった参加者も、自転車に乗って半日くらい一緒に過ごすと、終わった頃にはすごく打ち解けています。帰りにお客さん同士でごはんを食べたりするみたいですよ。
日向:確かに、自転車って一緒に走っただけで仲が良くなっていたりしますね。老若男女問わず、自転車に乗っていなかったら関わらなかったであろう出会いがあるのも自転車の魅力のひとつだと思っています。
フレームを拭いて、バイクの状態をチェック!
最後に、初心者に向けた「最低限これはやって欲しい」という基本的なメンテナンスを教えていただきました。
日向:一目惚れをして、今シーズンからこのバイクに乗り換えたのですが、黒いフレームだと汚れが目立つんですよね。

田代:ライドが終わったら、フレームだけでも拭く習慣を身につけてください。フレームを拭いて全体をチェックすることで、バイクの状態について気づくことがあります。あとは、出来れば2~3回に1回。それが無理であれば、最低でも5回走ったら1回と決めて、パーツクリーナーでチェーンの汚れを落とし、オイルをさす。最後に余分なオイルを拭き取る。この作業をやることで、随分と走りやすくなるはずです。
日向:バイクの調子がよくなるだけで、走るのが楽しくなりますよね。
◇ ◇
リンケージサイクリングでは、競技力向上を目的としたプライベートレッスンや、トレーニングプログラムの作成も行っており、そうした専門的なサービスも好評だと聞いています。

それでも田代さんは、「競技志向の人は言わなくてもやるし、そういう指導を提供しているところは他にもある」と言い、いまはスポーツバイクのすそ野を広げつつ、「安全・安心」を提供することが一番のテーマだと考え、実践されています。日本のトップ選手としてヨーロッパの自転車文化を見てきたから彼だからこそ、いま日本のサイクリング界に必要な課題が見えているのかもしれません。(日向涼子)

企業広告を中心に活動するモデル。食への関心が高く、アスリートフードマイスター・食生活アドバイザー・フードアナリストの資格を持つ。2010年よりロードバイクに親しみ、ヒルクライム大会やロードレース、サイクリングイベントへ多数出場。自転車雑誌「ファンライド」で『銀輪レディの素』を連載中。ブログ『自転車でシャンパンファイトへの道』( http://ameblo.jp/champagne-hinata/ )