寺尾真紀の「ツールの誘惑」<5>移籍交渉へエージェントがフル稼働する“もうひとつのツール” 勝利の余韻に浸るヒマはなし

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 ツール・ド・フランスが英国リーズで7月5日に開幕してから10日が過ぎ、ほぼ折り返し地点にあたる15日に、1回目の“休息日”がめぐってきた。

 ブザンソンに滞在する選手たちは、昼前ちょっとしたライドに出かけ、午後に1時間程度のメディア対応をするほかは、めいめいのんびり過ごすことができる。

 数年前の休息日に「今日はいったい何をしているの?」と聞いたところ、選手から「ほぼ一日中、水平になって過ごしてます」というメールが返ってきたことがあった。疲労困憊だったり、体調を崩している選手にとっては恵みの一日だ。ただし、リズムが変わるせいなのか、休息日の翌日にガクンと調子を落とすケースもあるから、要注意の一日でもある。

 取材陣にとっては、休息日は待ちに待った「洗濯日」。日頃はチームバスに設置されている大型洗濯機をうらやましく眺めつつ、増えていく洗濯物にため息をついているが、休息日にはラヴォリ(コインランドリ)を探し、各チームのプレス会見のタイムテーブルとにらめっこしながら2〜3回転をこなす。

ブレイルズフォードの“逆インタビュー”

 午前10時15分、チーム スカイからホテルめぐりがスタート。スカイは、トレーニング走行出発前に主要選手の囲み取材の時間をとるという方式をとっている。クリストファー・フルームの棄権によりGCキャンペーン(総合争い)のエースになったリッチー・ポートと、レースの内外でチームのまとめ役となるゲラント・トーマスが、集まったメディアの質問に答えていく。今年はちょっと変わった光景が見られた。2人への質問時間が終了した後、同席していたチーム・プリンシプルのデイブ・ブレイルズフォードが、取材陣を引き留めたのだ。

 「もしよかったら、君たちに質問があるから、残ってもらえないかと思うのだけれど…」

 「去年の休息日は、朝から晩までドーピングのことしか聞かれなかった。けれど今日は…リッチーにもゲラントにも、ドーピングの質問は全くなかった。そのギャップの大きさに、少しポカンとしているくらいなんだ。ショックを受けていると言ってもいいかもしれない。この違いはいったいどうして? 昨年はクリスがすでにイエローを着てたから? 理由を聞かせてほしいんだ」

 最初、戸惑い気味に顔を見合わせた取材者たちも、ぽつりぽつりと口を開き始めた。

 「アクス・トロワ・ドメーヌ(2013年第8ステージのゴール)での独走勝利…」

 「それまでの実績が比較的ないまま、彗星のように飛び出してきた…」

 ブレイルズフォードは、その一つ一つの説明を、うなずきながら聞いている。

 対立の構図ばかりだったこの話題で、お互いの視線を理解しようとする瞬間が訪れたように感じた。

 洗濯タイムを挟み、午後は数チームの会見へ。ブザンソンの中心部のホテルで最後の会見が終了した後、少し周囲を散歩してみた。中心部には川がゆっくりと流れ、傾きかけた西日が建物や橋をわずかにオレンジ色に染める。翌朝のヴィラージュもすでに川沿いの公園に設営済み。休園中の遊園地のように、ひっそりと来るべき時を待っている。

休息日明け タランスキーの絶望

 翌朝のブザンソンは、強い日差しがじりじりと照りつけ、集まった人でごった返していた。チームバスのひさしがわずかな影を落とすが、多くの選手はスタートラインに向かうぎりぎりのタイミングまで、チームバスの冷房を満喫する。今日の仮スタートラインは日光を遮るものがない場所だったため、選手たちは数十メートル手前の木陰に集結。スタート10秒前のカウントダウンが始まってから、やっと日差しの中に飛び出していった。

 逃げ向きだと誰もが予想していた第11ステージだったが、まだ勝ちのないチームが容赦ない追走を開始し、筋書きは書き換えられてしまった。とてつもない暑さととてつもない速さに多くの選手が苦しんた。2度の落車の影響にあえぐアンドリュー・タランスキー(アメリカ、ガーミン・シャープ)は、止まることも進むこともできずに、途中、路肩のガードレースに座り込んだ。再びバイクに乗り、51kmの孤独な道のりを進んだ彼は、トップから32分以上遅れてゴールラインを越えた。

ようやくゴールしたタランスキーを各メディアが追いかける<寺尾真紀撮影>ようやくゴールしたタランスキーを各メディアが追いかける<寺尾真紀撮影>

代理人のハイ・シーズン

 大きな木が通り沿いに並ぶブザンソンと違い、第12ステージのスタート地、ブール・アン・ブレスには日光を遮るものがなかった。色とりどりにきらめくチームバスの前に選手の姿はほとんどないが、この時間こそ、関係者のネットワークがフル稼働する時間である。同国出身の監督同士が情報交換をしたり、GMがゲストと何やら密談に興じていたり、そんなツールらしい光景の中に、選手代理人(エージェント、あるいはマネージャーともいう)の姿もよく見かける。

 8月1日の移籍解禁日を目前に控え、ツールは契約交渉のハイ・シーズン。レースの裏側で“もうひとつのツール”が繰り広げられている。今年のツール前半には、昨年交通事故に遭い、未だ回復途上のアレックス・カレーラの姿もあったし、先週はライモンド・シモーヌやジョアン・コレイア、アンドリュー・マッケイドの姿を見かけた。

 この日の第12ステージでは、ペテル・サガンのエージェントであるジョバンニ・ロンバルディを見かけた。話を聞こうと思っていたところ、あるチームが、ロンバルディの抱える選手の一人と契約更改をしない決定を今朝伝えたらしい、という話を小耳にはさんだ。話を聞くのにはあまり良いタイミングではないだろうと思い、ここ数日会場でよく見かけるフィンランド人エージェント、ヨーナ・ラウッカを呼び止めた。

 元プロ選手のラウッカは、フィンランド人ではあるがフランスで長く暮らし、リヨン近郊にオフィスがある。事務所の代表は大物フランス人エージェントになっているが、現場に来て積極的に動いているのは彼であるし、さいたまクリテリウム招待選手の契約を任されるなど、ツール主催者ASOとの関係も深い。

 「引退後、契約のことをチームと話す手伝いをしてもらえないかと、数人の選手に依頼された。そんな風にしているうちに、片手間ではできなくなってしまったんだ」

 「自分はこの選手とこの選手を抱えている、というふうにアピールするエージェントもいるけれど、ぼくは誰をクライアントに持っているか、あまり自分からは言わないようにしているんだ。この選手のエージェントか、と聞かれたらたいていの場合は答えることにしているけれど」

 連日、スタートの際に彼が特定の選手と話すところを見かけていたから、クライアントの何人かは予想がつく。

 「スカンジナビア人選手ではクリツォフ、フランス人選手ではペロー、バルデ……」

 彼の表情から、とりあえずそこまでは“あたり”だということが分かった。

「サポートしたい…」 期待に応えたクリツォフ

 「ぼくは、プロ入り前の選手とはあまり契約をしないんだ。もちろん例外はあるし、U23レースには顔を出すようにしている。どちらかというと、ネオプロ契約を結び、すでに一歩を踏み出した選手の方が仕事がしやすい。プロ入りする過程で最初のリアリティ・チェックが完了しているから、余りに非現実的な希望を並べたりしないしね」

 「選手たちに、全プロチームにコンタクトをして、自分に興味があるかどうかを聞いて回る時間はない。自分たちのマーケット価値だって正確にはわからないだろう。その点、ぼくたちには人のネットワークと、そこを通して得た知識がある。GMや監督と密接なコミュニケーションをとっているから。選手がそのチームにフィットするかを知るためには、チームの方針や内情を知らなくてはならない」

 選手から依頼されることもあれば、こちらからコンタクトをすることもあるという。ほかのエージェントの選手を自分から勧誘することはしない。

長年在籍していたエウスカルテルが解散、今シーズンはBMCに移籍したサムエル・サンチェス。アムステルゴールドレースでは、フィリップ・ジルベールの勝利を強力にアシストした<砂田弓弦撮影>長年在籍していたエウスカルテルが解散、今シーズンはBMCに移籍したサムエル・サンチェス。アムステルゴールドレースでは、フィリップ・ジルベールの勝利を強力にアシストした<砂田弓弦撮影>

 「自分から誰と契約しているかは言わないと言ったけれど、最近とても嬉しかったケースがあるんだ。サムエル・サンチェスから連絡があり、チーム探しを手伝ってほしいと言われた。彼にエージェントがいないなんてその時まで知らなかった。彼から依頼されるなんて、とても光栄だと思った。一生懸命探したよ。その結果、BMCとの契約にこぎつけた」

 今年初めのS・サンチェスの契約劇の裏側には、ラウッカの活躍があったわけだ。

 いい成績を残せば、選手たちの価値は上がる。それでも契約をとりまく状況は厳しい。

第11ステージのスタート前、ラウッカがクリツォフの側に行き話をする<寺尾真紀撮影>第11ステージのスタート前、ラウッカがクリツォフの側に行き話をする<寺尾真紀撮影>

 「昨年は5チームが解散し、移籍マーケットはどん底だった。今年もあまり変わらないね。ツールではいろいろな交渉が大詰めに入っているので気を抜けない」

 前日のスタートでは、ミラノ〜サンレモ優勝のアレクサンドル・クリツォフ選手と言葉を交わす場面を見かけた。実際にはツール開幕から幾度となく、彼らのやり取りを目にしている。

 「スタート前にどんなことを話しているの?」

 「調子とか、気分とか、チームの雰囲気とか…彼のことはずいぶん長いこと知っているんだ。実力はあるのに、派手な選手ではなかったから、契約交渉がうまくいかずに苦い思いをしたこともある。今になってやっと、彼の真価が認められるようになった。彼はまだツールで勝利がないから、気持ちの面でサポートしたいというのはある」

 その言葉の5時間後、クリツォフは自身初のツールステージ優勝を挙げた。

自身初のツールステージ優勝を挙げた、アレクサンドル・クリツォフ(ノルウェー、チーム カチューシャ)<砂田弓弦撮影>自身初のツールステージ優勝を挙げた、アレクサンドル・クリツォフ(ノルウェー、チーム カチューシャ)<砂田弓弦撮影>

 ポディウムがセレモニーに湧く後ろ側で、ラウッカは忙しく電話の対応をしていた。おめでとう、の声に一瞬笑顔になる。カチューシャのチームホテルでお祝いのシャンパンでも飲むのだろう、と思ってその場を後にしたが、夕刻に取材に訪れたチームホテル(カチューシャの宿泊先ではない)の駐車場に、彼の黒いセダンが滑り込んでくるのを偶然見かけた。

 代理人には、勝利の余韻に浸っているヒマなどないのだ。

(文 寺尾真紀/写真 砂田弓弦・寺尾真紀)

寺尾真紀寺尾 真紀(てらお・まき)

東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで4回取材を行っている。UCI選手代理人資格取得。趣味は読書。ツイッター @makiterao

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