16年に及ぶプロ選手生活にピリオド元NIPPOのバリアーニが引退、指導者の道へ ツアー・オブ・ジャパン連覇など日本でも大活躍

by 田中苑子 / Sonoko TANAKA
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 2012、13年のツアー・オブ・ジャパンで総合優勝し、昨年までチームNIPPOでキャプテンとして活躍したイタリア人選手、フォルトゥナート・バリアーニ(39)が6月15日、ツール・ド・コリア最終日をもって現役を引退。16年に及ぶプロ生活にピリオドを打った。今後は指導者の道へ進むという。(レポート 田中苑子)

2013年ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージでグリーンリーダージャージを着たバリアーニが笑顔を見せる(田中苑子撮影)2013年ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージでグリーンリーダージャージを着たバリアーニが笑顔を見せる(田中苑子撮影)

ジロ・デ・イタリアで山岳賞2位のクライマー

 バリアーニはイタリア中部ウンブリア州出身で、2年間の研修生期間を経て、1999年コロンビア籍のセッレイタリア・W52でプロデビュー。抜群の登坂力を強みとし、その後もイタリア籍のパナリア、ミケなどを渡り歩いた。母国の一大イベントであるジロ・デ・イタリアには、2000年の初出場を含め通算8回出場。毎回、得意の山岳ステージで活躍し、2007年には山岳賞争いで2位という好成績を残した。

8回出場したジロ・デ・イタリア。2006年は山岳賞ジャージにも袖を通している(砂田弓弦撮影)8回出場したジロ・デ・イタリア。2006年は山岳賞ジャージにも袖を通している(砂田弓弦撮影)
ツール・ド・コリアを終えて、引退セレモニーでシャンパンを開ける(© Tour de Korea / Aaron Lee)ツール・ド・コリアを終えて、引退セレモニーでシャンパンを開ける(© Tour de Korea / Aaron Lee)

 彼のキャリアで大きなターニングポイントとなったのは、2011年に株式会社NIPPOが第2スポンサーを務めるイタリア籍チーム、ダンジェロアンティヌッチ・NIPPOへ加入したことだ。この新生チーム発足にあたり、バリアーニは実力だけでなく経験や人間性も買われ、“キャプテン”として迎え入れられた。そして日本人を含む多くの選手から信頼され、慕われる存在になった。

 2011年から13年まで同じチームに所属していた内間康平(ブリヂストンアンカー)は、「バリアーニはどんなメンバーといても常に雰囲気を明るくし、チームをまとめてくれました。レース中には的確な指示を出し、まさにキャプテンにふさわしい選手でした」と彼の存在感を振り返る。また、2013年のチームメートで、昨年末にひと足早く引退して監督修行中の福島晋一とのコンビは絶妙だったといい、いつもチームを盛り上げた。NIPPOから愛三工業レーシングに移籍した中根英登や早川朋宏もバリアーニから大きな影響を受けた。

毎年オフシーズンにスペインのカナリア諸島で自主的にトレーニングキャンプをするバリアーニ。2013年は早川朋宏も参加した(田中苑子撮影)毎年オフシーズンにスペインのカナリア諸島で自主的にトレーニングキャンプをするバリアーニ。2013年は早川朋宏も参加した(田中苑子撮影)
2013年南アフリカのレースでマウロ・リケーゼ(アルゼンチン)がステージ優勝。一生懸命仕事をした中根英登(左)が満面の笑みで喜ぶ(田中苑子撮影)2013年南アフリカのレースでマウロ・リケーゼ(アルゼンチン)がステージ優勝。一生懸命仕事をした中根英登(左)が満面の笑みで喜ぶ(田中苑子撮影)

TOJ連覇は「一生忘れられない記憶」

 日本と関わりの深いチームに加入したことで、日本のレースへ出場する機会が増えた。2011年はツール・ド・熊野で総合優勝。その後、2012、13年にツアー・オブ・ジャパン(TOJ)を2連覇するなど活躍し、日本のファンに鮮烈な印象を与えた。

 バリアーニは「ジロや、ヨーロッパのワンデイレースも印象深いけれど、ツアー・オブ・ジャパンの連覇は特に大きな意味を持つ出来事だった。自分のキャリアにおいて大きな勝利であり、一生忘れられない記憶として私の心に深く刻まれた」と振り返る。また「日本のレースで受けた印象は、“良い運営と素晴らしいおもてなしの心”。初めて来日したときから、日本が大好きになったんだ」と付け加えた。

2012年ツアー・オブ・ジャパン。富士山ステージを制して、ここで総合順位首位に立った(田中苑子撮影)2012年ツアー・オブ・ジャパン。富士山ステージを制して、ここで総合順位首位に立った(田中苑子撮影)
2012年ツアー・オブ・ジャパンで総合優勝の証、グリーンジャージに身を包むバリアーニと、山岳賞を獲得したアレドンド(田中苑子撮影)2012年ツアー・オブ・ジャパンで総合優勝の証、グリーンジャージに身を包むバリアーニと、山岳賞を獲得したアレドンド(田中苑子撮影)
2013年ツアー・オブ・ジャパンで、総合優勝2連覇を達成した(田中苑子撮影)2013年ツアー・オブ・ジャパンで、総合優勝2連覇を達成した(田中苑子撮影)
2013年ツール・ド・ランカウイ。アレドンドのリーダージャージを守るべく、チーム一丸となって雨のなかレースをコントロールした(田中苑子撮影)2013年ツール・ド・ランカウイ。アレドンドのリーダージャージを守るべく、チーム一丸となって雨のなかレースをコントロールした(田中苑子撮影)

 さらに、2013年のツール・ド・ランカウイでの成功が名声を高めた。レース中盤の第5ステージ、勝負どころとなる「ゲンティンハイランド」の頂上ゴールで、チームメートのジュリアン・アレドンド(コロンビア)がステージ優勝を果たしてリーダージャージを獲得。続く悪天候の平坦ステージでは、総合逆転を狙うライバルチームが総攻撃を仕掛けた。

 当時、チームNIPPO・デローザは総合優勝を狙う布陣ではなく、6選手中2選手は大学生(鹿屋体育大学の石橋学と徳田鍛造)でプロのレース初参戦という状況。さらにバリアーニ自身も体調不良を抱えながらのレースだった。しかし、バリアーニは見事にチームをまとめ上げ、そして戦力としてもチームに大きく貢献し、アレドンドのリードを最終日まで守り抜いた。この実戦経験をとおして、石橋と徳田は多くのことを学んだ。

 アレドンドのこの勝利が、今季、彼のトレック ファクトリーレーシングへの移籍を後押しした。そして、バリアー二が惜しくも獲得できなかったジロの山岳賞を、アレドンドが見事に獲得した。バリアーニにとってもその喜びは大きいという。もちろん。現在も2人の親交は深い。

2013年ツール・ド・ランカウイ第6ステージ。ライバルチームの激しい攻撃に耐えリーダージャージを守ったアレドンドが放心する(田中苑子撮影)2013年ツール・ド・ランカウイ第6ステージ。ライバルチームの激しい攻撃に耐えリーダージャージを守ったアレドンドが放心する(田中苑子撮影)
虎のぬいぐるみにチームウェアを着せて遊ぶバリアーニとアレドンド。過酷なレースを前に束の間のリラックスした時間を楽しむ(田中苑子撮影)虎のぬいぐるみにチームウェアを着せて遊ぶバリアーニとアレドンド。過酷なレースを前に束の間のリラックスした時間を楽しむ(田中苑子撮影)
2013年ツール・ド・ランカウイ。アジア最高峰のレースでチーム一丸となりアレドンドの総合優勝を掴んだ(田中苑子撮影)2013年ツール・ド・ランカウイ。アジア最高峰のレースでチーム一丸となりアレドンドの総合優勝を掴んだ(田中苑子撮影)

「日本のファンの声援には本当に感謝」

 1974年7月6日生まれで現在39歳のバリアーニは、以前から40歳になったら引退するつもりだった。今季はデンマーク籍のクリスティーナウォッチス・クマに移籍したが、「新しいチームとの契約が決まったとき、(6月末の)イタリア選手権で区切りを付けて引退すると決めていた」という。しかし、チーム側からイタリア自転車連盟へ提出する書類に不備があり、レースへ出場できないことが判明…そんなこともあり、ツール・ド・コリアで引退を表明した。

 「イタリアのレースで引退する選択肢もあったが、あえてアジアのレースを選んだ。なぜならば、昨年まで過ごした日本のチームが、多くのかけがえのない経験と勇気を私にもたらしてくれたから。そのことに報いたかったことも理由の一つ。若い頃から40歳になったら辞めようと漠然と思っていた。そして今それが現実になったんだ」。40歳の誕生日を目前にして、長い長い選手生活を終えた。

引退レースとなったツール・ド・コリア、第1ステージで出走サインをするバリアーニ(© Tour de Korea / Aaron Lee)引退レースとなったツール・ド・コリア、第1ステージで出走サインをするバリアーニ(© Tour de Korea / Aaron Lee)
ツール・ド・コリア、第1ステージでアタックを仕掛ける(© Tour de Korea / Aaron Lee)ツール・ド・コリア、第1ステージでアタックを仕掛ける(© Tour de Korea / Aaron Lee)
ツール・ド・コリアの最終ステージを終え、大会側がバリアーニの引退セレモニーを行った(© Tour de Korea / Aaron Lee)ツール・ド・コリアの最終ステージを終え、大会側がバリアーニの引退セレモニーを行った(© Tour de Korea / Aaron Lee)

 今後については「この業界に残ろうと思う。じつはもう将来を見据え準備は始めている。これまで培った経験を活かし、監督として業界にフィードバックしていきたい。これまで自分を支えてくれた人々に、多くのことを恩返ししていきたい」と語る。これまで一緒に走った日本人選手からも、今回の引退のニュースを受けて「監督として戻って来てほしい」という声がたくさん上がっている。

 最後にバリアーニは日本の関係者へこう語りかけた。「これまで16年間プロ選手として活動しましたが、日本のファンの皆様からの声援には本当に感謝しています。ならびにNIPPOの会社関係者、3年間ともにしたチームの選手、スタッフには大変支えられました。どうもありがとうございました」

◇         ◇

 底抜けに明るいキャラクターで、誰からも好かれるバリアーニ。進路の詳細は明らかにしていないが、自転車レース界に残ってくれることを頼もしく思う。あの弾けるような笑顔に再び会える日を楽しみに待ちたい。

笑顔でファンサービスをするバリアーニ。日本のレースに参加するのが毎回楽しみだった(田中苑子撮影)笑顔でファンサービスをするバリアーニ。日本のレースに参加するのが毎回楽しみだった(田中苑子撮影)
株式会社NIPPOのゆるキャラ“ミッチーくん”と記念撮影。チームNIPPOでの思い出は彼のキャリアのなかでもとくに印象深いと話す(田中苑子撮影)株式会社NIPPOのゆるキャラ“ミッチーくん”と記念撮影。チームNIPPOでの思い出は彼のキャリアのなかでもとくに印象深いと話す(田中苑子撮影)

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