ヤマネ・ネガシ・ゲブレマリアムさん特別インタビュー1964年東京五輪に出場 エリトリア自転車界のレジェンドが語った日本のこと、そしてアフリカのこと

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 1964年東京五輪の自転車競技に出場したYemane Negasi Gebremariam(ヤマネ・ネガシ・ゲブレマリアム)さん(67)が、アフリカ・エリトリアから49年ぶりに来日。一般社団法人コグウェイが主催した「四国ディスカバリーライド2013」(10月6~16日)に、日本とエリトリアの友好を祈念して参加し、四国をほぼ一周するルートを巡った。ゴール地となった松山市でCyclistのインタビューに応じたヤマネさんは、東京オリンピックの思い出や、エリトリアの国技でもある自転車競技の環境、国内での自転車事情について語った。(聞き手 福光俊介)

日本人の“おもてなし”の心に感動

インタビューを受けるヤマネさん(右)インタビューを受けるヤマネさん(右)

――「四国ディスカバリーライド2013」を走り終えた気分は

 とても感銘を受けました。全行程720kmという距離は、何の問題もなかったですよ。途中、2度の台風に見舞われましたが、天候よりも四国の人々の温かさや風土を感じられた10日間でした。

――特に印象に残っているルートを教えてください

 まず、どこを走っても緑が豊かという点がエリトリアとの大きな違い。同時に、水の豊かさも実感しました。川、道路脇の用水路など、水への整備が行き届いており、コース途中で滝を目にしたことも新鮮でしたね。また、老若男女問わずライドに参加していて、交流も楽しみました。そして何より、日本人の“おもてなし”の心に触れることができ、大変感動しています。

金比羅宮でお参りをするヤマネさん金比羅宮でお参りをするヤマネさん
朝の出発を待つヤマネさん=徳島県徳島市朝の出発を待つヤマネさん=徳島県徳島市

49年ぶりの日本は“空と地の違い”ほど変化

64年東京五輪出場の際の貴重な資料の数々64年東京五輪出場の際の貴重な資料の数々

――今回の来日は1964年の東京五輪以来49年ぶり。当時と現在の日本の印象はいかがですか

 街並みが近代的です。当時と比較し、物質的・経済的な豊かさが大きな要因でしょうか。また、人々がオープンになったと思います。外国人を受け入れる姿勢が充実していました。ティグリニャ語(エリトリアの公用語)に“空と地の違い”という表現があるのですが、それくらい日本は大きな変化を遂げています。

ヤマネ・ネガシ・ゲブレマリアムさん

――東京オリンピック出場までの経緯を教えてください

 当時は自転車競技に取り組む国が少なかった事情もあり、1952年ヘルシンキ、1956年メルボルン、1960年ローマといった3つのオリンピックの戦績から出場国を決定していました。国内の選考は、各州の代表選手がアディスアベバ(エチオピアの首都)での最終選考会に臨む形。ただ、実際はエリトリア州(現エリトリア国)の実力が抜きんでていて、東京には4人、メキシコ(1968年)、ミュンヘン(1972年)にはそれぞれ5人のエリトリア人が出場を果たしました。

――レース展開やリザルトについて振り返っていただけますか

 国別のチームタイムトライアルは60位でしたが、ロードレースでは22位でフィニッシュ。当時は独立前で、エリトリア人はエチオピア国内で二流市民として差別されていました。したがって、国際大会に出ることは許されず、唯一出場できる国際試合がオリンピックだったのです。そのような事情ゆえ、小規模なチームだったことを考えると、ロードレースの結果は十分に評価できるのではないでしょうか。

国内でイタリア式の選手育成法を採用

――エリトリアの自転車競技は目覚ましい進歩を遂げています。ヤマネさん自身の競技経験はどのようなところに活かされているのでしょうか

 オリンピック出場によって、国内での自転車競技への注目度が高まりました。エリトリアはもちろん、エチオピア全土で自転車レースが行われるようになったのです。私自身は1981年まで競技生活を送り、以降現在にいたるまでサイクリング協会の役職に就いています。会長に就任したのも、オリンピックの影響が大きいですね。

「当時と比べ人々がオープンになった」とヤマネさん「当時と比べ人々がオープンになった」とヤマネさん

――ダニエル・テクレハイマノット(オリカ・グリーンエッジ)、ナトナエル・テウェルドメドヒン・ベルハネ(チーム ヨーロッパカー)など、躍進を遂げる選手たちをどのように見ていますか

 エリトリア人選手は、アフリカ選手権のロードレースで2010年から3連覇しています。ヨーロッパでもトップライダーと競い、勝利するなど彼らの活躍にはいつも驚かされ続けています。

――国内の選手育成方法について教えてください

 エリトリアには、3部制の自転車競技リーグが存在します。1部リーグには8チーム、2部リーグは7チームが所属しています。このほか、マウンテンバイクのクラブも多数あります。いずれのチームも市民や企業の会費や寄付で成り立っています。合計すると約1000人のライダーが所属していますが、個人活動を行うライダーも多いことから、国内には約2000人のサイクリストがいると見ています。そうした中から、実力を付けた選手が国の代表やヨーロッパへと巣立っていきます。我が国に自転車競技を伝えたイタリアが育成モデルとなっていて、今後は12~23歳の選手育成を重視していく予定です。

非常に高いサイクリストの安全意識

松山市内の散策で乗った人力車松山市内の散策で乗った人力車

――エリトリア国内の自転車普及度について教えてください

 自転車は人々の生活に密接に絡んでいるものです。1人1台は所持していると言ってもいいほどで、こどもたちも自然に乗り始めます。わが国はこどもの多い家庭がほとんどですが、きょうだいのうち2~3人は自転車に熱中するこどもが出てきます。自転車が好きな子は、1台、また1台と両親に購入を要求していますね。ダニエルのようなビッグライダーは、そうした中から生まれたと言ってもいいでしょう。

道後温泉の前で記念撮影道後温泉の前で記念撮影

――イタリア自転車文化からの影響はどのあたりに現れているでしょうか

 これまではビアンキなどに代表される、イタリア製の自転車に人気が集中していました。ところが最近ではトレックやシマノといった、アメリカや日本の自転車が人々の注目を集めており、イタリアの自転車文化からの過渡期にあるかもしれません。

――自転車の安全対策はどのようにして行っていますか

 エリトリアの交通事情は主に、自動車、馬車、自転車の3つ。道路にはそれぞれのレーンが設けられ、規則を順守して走ることが求められています。中でも、サイクリストの安全意識は非常に高いですね。もちろん、自転車競技に取り組む選手たちには、ヘルメットの装着を義務付けていますよ。

◇      ◇

 東京オリンピック当時のことや、現在のトップライダーに話が及ぶと、目を輝かせて答えてくれたヤマネさん。テクレハイマノットと同国期待の若手メルハウィ・クドゥスが来季、南アフリカのロードレースチーム「MTN・キュベカ」への移籍が決まったことを伝えると、「アフリカのチームに戻ってきてくれた!」と大喜びしていたのが印象深い。

 また、四国を離れたあとは10月19~20日に栃木県で開催された「ジャパンカップ・サイクルロードレース」観戦や、日本オリンピック委員会(JOC)、日本自転車競技連盟(JCF)を訪問した。ジャパンカップ観戦後には、「日本選手には“サムライスピリット”を感じた。今後さらにレース経験を積み、他国との連携を図りながら、国際舞台へと羽ばたいてほしい」とエールを送った。

●ヤマネ・ネガシ・ゲブレマリアムさん略歴
1946年生まれ。1964年東京五輪、1968年メキシコ五輪に、エリトリア国独立前のエチオピア代表として出場。現・エリトリアサイクリスト協会中央地区会長。
 
●エリトリア国
アフリカ大陸北東部に位置する国家。1993年5月24日、エチオピアから独立。東部が紅海と面している。1800年代中期から約70年にわたり、イタリアの植民地でもあった。

福光俊介福光俊介(ふくみつ・しゅんすけ)
自転車ロードレース界の“トップスター”を追い続けて数十年、気がつけばテレビやインターネットを介して観戦できるロード、トラック、シクロクロス、MTBをすべてチェックするレースマニアに。2011年、ツール・ド・フランス観戦へ実際に赴いた際の興奮が忘れられず、自身もロードバイク乗りになる。自転車情報のFacebookページ「suke’s cycling world」も充実。本業は「ワイヤーママ徳島版」編集長。

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