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2013新春スペシャルインタビュー<3>「ここ1、2年が勝負になる」 宮澤崇史の静かな決意

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 2012年からUCIプロチームに所属し、世界トップレベルのロードレースで戦っている宮澤崇史。過去に全日本選手権やアジア選手権、国内UCIレースなどのタイトルを数多く獲得してきた34歳のベテランは、今なお経験を重ねて進化を続けている。2013年は引き続きチーム サクソ・ティンコフで、集団コントロールなどより幅広い役割を担い、プロとして評価を高めたいという。最高の舞台で納得のいく結果を出すための、勝負の時期を迎えようとしている。(聞き手 上野嘉之)

プロとしてのこだわり

 2012年に宮澤が最も印象に残ったレースは、3月に行われたステージレース「ツール・ド・台湾」の第2ステージでリーダージャージを獲得したことだ。

2012年シーズンを振り返る宮澤崇史 =東京・下北沢のカフェ・サコッシュ2012年シーズンを振り返る宮澤崇史 =東京・下北沢のカフェ・サコッシュ

 この日は東日本大震災から1周年の3月11日。レース後の記者会見では「日本に嬉しいニュースを届けられて良かった」と涙ぐんだ。

 宮澤は2010年のツール・ド・台湾でも日本ナショナルチームとして出場し、ステージ2勝と総合ポイント賞を獲得するなど活躍している。しかし昨年のレースは、新たにチーム サクソバンク・ティンコフバンク(2013年よりチーム サクソ・ティンコフ)へ移籍して日が浅かったので、リーダージャージを着ることでチームメイトのリスペクトを得ることができ、その後のシーズンに弾みがついたという。

 日本のレースファンの間では、グランツールやクラシックなどのビッグレースばかりが注目されがちだが、宮澤自身は「ほかにも重要なレースはたくさんある。チームに必要とされるレースで活躍し、評価されることが大事」と考えている。「会社と同じですね」。サラリと言ってのけるその表情には、プロとしての強い自覚とこだわりがにじんでいた。

勝負どころで仕掛けたジャパンカップ

ジャパンカップ2012で集団を猛然と引いた宮澤崇史(写真・砂田弓弦)ジャパンカップ2012で集団を猛然と引いた宮澤崇史(写真・砂田弓弦)

 ヨーロッパのチームに所属したため、宮澤が2012年に日本で出場したロードレースは、10月のジャパンカップだけとなった。そこで不運に見舞われた。9月末に別のレースで落車した際のケガの影響で、ジャパンカップの直前まで歩くことすら困難な状況だったのだ。

 そんな苦境の中でも、宮澤はラスト2周の段階で渾身の走りを見せて集団をけん引し、チームのエースを務めたラファル・マイカを3位入賞に導いた。

 実はレース前、「監督に、自分の体調はこういう状態で、できることはこういうことだと話をしてあった」という。だから、マイカのアシストという役割がはっきりしていた。「レースでは、何をしなければいけないかをわかって遂行した。自分の仕事ができたかな、と感じている」。ここにも宮澤の仕事師としての自負が表れている。

 一方で宮澤は、自身が引いたあの場面で、前を追う日本チームがいなかった事に疑問を抱いている。

 「あの場面で遅れたら取り返しがつかない事は明白。しかしチームとして前を追う指示を出せず、(欧州プロチームが作る)展開の中で『あわよくば』というレースをしている以上、日本人選手は絶対に強くなれないし、これから先も世界に出て行けない気がする。もっと積極的に戦ってほしいですね」

ヨーロッパで走るということ

 宮澤にとって、ロードレースの本場ヨーロッパで戦うことには、強い思い入れがある。高校を卒業する頃には海外で走ろうと心に決め、日本と欧州のチームを行ったりきたりしながら、延べ7年間はイタリアで暮らしてレース活動を続けてきた。

 しかし最近、20代前半の世代から、欧州で活躍する日本人選手が現れていない。「ヨーロッパのレース情報がインターネットで簡単に手に入るようになり、かえって選手がヨーロッパを目指さなくなった」。そんな皮肉な状況を宮澤は危惧している。

 「昔はヨーロッパに渡ることは大冒険で、色々な事態を想定して大海原に出て行く気持ちだった。今は情報が多く、ヨーロッパのロードレースを勘違いする選手やファンも少なくない。“速く走れないとヨーロッパ行っても仕方ない…”と決め付けて、日本でくすぶっている選手も少なくないと思う」

 速いからヨーロッパへ行くのでも、速ければヨーロッパで成功するわけでもないという。宮澤が考える、世界の一流選手になる為に必要な条件はシンプルだ。

 ①語学と文化を受け入れ、自分の可能性を広げる ②どんな状況や環境にもめげず、壁を乗り越える“覚悟”持つ ③他の選手にない自分だけの強さを持つ

 例えば日本のチームに所属し、遠征や留学制度でヨーロッパへ渡れば、選手は走るだけでいいので楽かも知れない。しかし宮澤は、「それでは選手として成長しにくい」と指摘し、こう続けた。「1人でヨーロッパへ行くと、生活の全てを自分でこなさなければならないが、上に上がるチャンスは無限大だ」

 自転車はヨーロッパの文化。その文化を知らずして一流の選手にはなれない。文化を知るには、自分で道を切り開いてヨーロッパに根を張り、なじんでいくしかないという。

2012年10月、伝統のレース「パリ~トゥール」を走る宮澤崇史(撮影・砂田弓弦)2012年10月、伝統のレース「パリ~トゥール」を走る宮澤崇史(撮影・砂田弓弦)

 だから宮澤は、生きる力のある人間を育てたいと考えている。2012年の夏、2人のジュニア選手をイタリアで受け入れ、現地のジュニアチームで走る場を提供した。それは、ヨーロッパに来て走る「覚悟」を持たせるため。手助けは最小限にとどめ、いろいろなことを自分で切り開いていくよう配慮した。この活動は2013年も続けていこうと考え、選手を募集している。

新たな役割に挑む2013年

 チーム サクソ・ティンコフからは昨秋に一度、契約を更新しないと通告されていた。しかし最後の1席に滑り込む形で、新チームによる冬のキャンプが始まる5日前に召集されて残留が決まった。チーム内外の競争は激しく、プロチームで居場所を確保するだけでも簡単ではないことを思い知らされた。

 昨年は12レースほどでエースを務めたが、今季はチームメイトの構成の変化などにともない、役割も変わってくる。チームとの話し合いでは、逃げや集団のけん引など、より多彩な役割を求められ、すでにそのためのトレーニングも始めている。

インタビューに2013年の意気込みを語る宮澤崇史 =東京・下北沢のカフェ・サコッシュインタビューに2013年の意気込みを語る宮澤崇史 =東京・下北沢のカフェ・サコッシュ

 2月で35歳を迎える宮澤は、何歳まで選手を続けられるかわからないと言いつつ、「ここ1、2年が勝負になる」と感じている。UCIプロチームという最高の舞台にまで登り詰めたいま、必要なのは納得のいく結果だ。

 一方、今年から新たに取り組みたいこともある。自身がドナーとなった肝臓移植の分野への協力や、被災地支援などの社会貢献だ。「今までは競技のことだけを考えてきたが、他のことも見えるようになってきた」と宮澤はいう。選手として、そして社会の一員として、円熟の一年を迎えようとしている。

(取材協力:カフェ・サコッシュ

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