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猪野学の“坂バカ”奮闘記<16>「初めて坂が恐いと感じた」 “隔離強化合宿”で体験したプロの世界<前編>

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 「いつかはプロと走ってみたい」─自転車を始めた当初、「ツール・ド・フランス」をぼんやり観戦しながら思っていた。一体どれくらい速いのだろう…どんなペダリングをしたら時速70kmのスピードが出せるのだろうか…。数年後、その夢が『チャリダー★』という番組に出会って、叶う事になろうとは思いもよらなかった。番組の企画でこれまで数々のプロライダーの方々と一緒に走らせてもらった。ロードに限らず、MTB 、シクロクロス、トラック競技。皆様それぞれに厳しい勝負の世界を勝ち上がって来た自信と、そしてこれからも勝ち続けなければならないという孤高を秘めている。

宮澤崇史監督率いる「レモネード・ベルマーレ」の皆さんと合宿(2015年当時。現「リオモ・ベルマーレ レーシングチーム」)

乗鞍対策で切望「隔離してください!」

 意外かもしれないが、ライドをともにした記念すべき1人目のプロライダーは、“山の神”こと森本誠師匠(イナーメ信濃山形)なのだ。

4年前、森本誠師匠との記念すべき最初の特訓!

 当時、師匠は「キャノンデール・チャンピオンシステム」に所属し、プロとして走っていた。チームメイトの澤田賢匠選手とヤビツ峠でのフォーム改造ロケに来ていただいたのだ。この時は、私は背後からフォームをチェックしてもらっただけなので、プロの強度を目の当たりにする事は出来なかった。それでもすこぶる嬉しかったのを覚えている。

 プロとの壮絶なロケといえば新城幸也選手とのタイ合宿があるが、実はそれ以前にもプロの合宿にぶち込まれた事がある。あれは忘れもしない2015年…。その年の集大成、「マウンテンサイクリングin乗鞍」を前に、ドラマの撮影が忙しくてなかなか練習時間が取れなかった私は、ついついスタッフに愚痴を漏らしてしまった。

 「もうこうなったらどこかに隔離して(練習させて)下さいよ!」と─。

2015年、初の乗鞍参戦を前に、俗世との隔離を切望した筆者

 口は災いのもと。余計な事を口にするものではない。本気にしたスタッフは“乗鞍対策ロケ”として、宮澤崇史監督率いる「リオモ・ベルマーレレーシングチーム」の長野合宿に、私を2日間隔離したのだ。この壮絶な隔離合宿の模様は…番組では3分くらいに凝縮して編集されていたので、実はあまり知られていない。

 今回はこの合宿での出来事を書かせていただくが、あまりにも壮絶なので前後編の2回に分けさせて頂きたい。

“宮澤ワールド”全開!

 季節は夏…。避暑地として名高い長野だが、その日はなぜか東京より暑い37度。おまけにドラマの撮影中だった私は日焼けが出来ないため、アームカバーとレッグカバー装着のムレムレ状態で灼熱の長野を走る事になった。

 メンバーは宮澤崇史監督を筆頭とする、才田直人選手、小清水拓也選手、中里仁選手とゴリゴリのプロ選手。コースは長野市内から白馬方面へ行き、山岳地帯を回って帰って来て善光寺ゴールという160kmだった。

宮澤崇史監督(写真右から3番目)率いる「レモネード・ベルマーレ」(2015年当時)の皆さんと合宿することに…。嬉しさ半分、恐縮半分の筆者

 そして全く内容を知らされないまま、強化合宿がスタートした。いきなり強度の高いプロの巡行が待っているのかと身構えていたが、宮澤監督は選手達にインターバル練の指示を出し、先に行かせた。どうやら白馬までの峠道で選手達はインターバルトレーニング、私にはマンツーマンのレッスンをしてくれた。少しホッとしたが、世界の宮澤さんとのマンツーマンレッスン。緊張は隠せない。

宮澤崇史さん。その指導は厳しくも愛が溢れている

 まず最初に指導していただいたのが骨盤の角度だった。「骨盤を前に倒す(入れる)と脚が回り易くなる角度がありますよね?それを覚えて下さい」との事。これは目から鱗だった。確かに腰を入れるというか、前に押すと脚がクルクル回る角度があるのだ。

 そしてさらにペダリング。ペダルは踏むのではなく、自分の体重を上手く使うのだという。「体重は無限です。体重は一生かかり続けます、立っている時、地面を押しているわけではないですよね?死ぬまで体重はかかり続けますよね?体重は使いたい放題なんですよ」

宮澤崇史ワールド全開!名言が次々と飛び出す

 この辺りから世に云う、“宮澤語録”が炸裂し始める。

 余談だが、宮澤監督はグランツールなどの解説でも時々、宮澤語録が炸裂させる時がある。先日のブエルタ・ア・エスパーニャの解説では、「雨の日のレースは(走りながら)オシッコするのがバレなくていいですよね」と言い放ち、同席しているアナウンサーを驚愕させていた。私はそんな宮澤さんの解説が大好きだ。

 さらに語録は炸裂。

 「スプリントの時は、脚の付け根がみぞおちにあるイメージで踏みますね!」

 この辺りから凡人の私の脳では付いて行けなくなり、相槌を打つので精一杯になった。しかしこの“自重”を使ったペダリングはとても参考になった。無理矢理ペダルを踏むのではなく、スムーズなペダリングの中で、プラスアルファで自分の体重をかけて行くのだ。ガチャ踏みで脚を削るのはもってのほかなのだ。

スピードアシストも、これぞ“プロ技”

 そうこうしていると、先行していたインターバル組が道の駅で我々を待っていた。宮澤監督は「猪野さんはさっき教えたペダリングを自分のものにして下さい」と言い、先頭を牽く。平和な巡行が続くのかと思ったが、この辺りからプロの強度が牙をむき始めた。最初は40kmだったペースが、徐々に45kmになる。

 「レースでも展開が動く前はこれぐらいダラダラ走りますよ!」と監督。ダラダラ…。プロの方々にとってはそうかも知れないが、私の場合は冷や汗と鼻水ダラダラで付いて行くがやっと。ぬぐう暇もない。

プロのスピードについていくのがやっと…

 そのうちに監督と才田選手がトレインを回し始め、スピードは50kmから55kmへ。ケイデンスは120を上回る、さすがに千切れ始め、最後尾についた。相手は現役のプロ選手だ…千切れて当たり前だと、徐々に離れ出す。すると中里選手がするすると降りて来て、私の方を振り向き、首を傾け着いて来いという仕草。私にはサングラス越しに「どうした坂バカ?こんな強度で千切れちまうのかい?」と言っているかのように見えた。

 そうだ!これはプロの合宿だ!プロの方々が一緒に走ってくれているんだ!こんな機会は2度とない!(後にタイ合宿があるのだが…)一気にケイデンスを150に上げる。

 しかしどうしたことだろう?中里選手に追い付くと、すいすいと集団に戻れるではないか! 中里選手はまるで背中に目が付いてるかのように、私が付いて来れるスピードを把握し、無理なくスムーズに私を集団に戻したのだ。

 「これがプロのアシストというものか!素晴らしい!」

 経験値の成せる業なのだろう。私は心底感心し、アシストの重要性を学んだ。そこから延々と55km/h巡行。タイ合宿では付いて行けなかった速度だが、この年は自己ベストを量産しまくり、乗りにのっていたため、何とか着いて行けた。が、しかし…監督の「最後スプリント!」の言葉とともに、皆様、下ハンダンシングでフルもがき!さすがにこれには付いて行くことはできなかった。

“坂バカ”の筆者が初めて恐怖を感じた坂とは…

 完全にノックアウトされた私に、監督は「ここからは山岳です!ダンシングでケイデンス100キープ!」

 私は“坂バカ”と銘打っているのに、坂に恐怖を感じたのはこのときが初めてだった。そしてここから、世にも恐ろしい地獄の山岳ステージが幕を開けるのだった…。

<後半に続く>

(写真提供:NHK/テレコムスタッフ)

猪野 学猪野 学(いの・まなぶ)

俳優・声優。自転車情報番組NHK BS1『チャリダー☆』(毎週土曜18:00~18:25)にレギュラー出演し、「坂バカ俳優」という異名で人気を博す。自転車の他、空手やスキーなども特技とするスポーツマン。俳優として舞台や映画、ドラマなどで活躍する一方、映画『スパイダーマン』のトビー・マグワイアの声優としても知られる。ウェブサイト「マナブログⅡ

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