スマートフォン版はこちら

サイクリスト

ブルーノで行く!アジア自転車旅<4・終>旅の終着地バンコクへ 人と出会い助けられ、広い世界に残した「私の轍」

  • 一覧

 旅する自転車「BRUNO」(ブルーノ)が取り組むキャンペーン「BRUNOが応援する『旅』 ~世界の自転車旅をサポート~ 若者よ旅に出よ!」で挑戦者に選ばれた溝口哲也さん(20)による、香港からタイ・バンコクに向けてのアジア旅は、いよいよ旅の終着地バンコクへ。旅を終えて心に刻まれたものは、新たな“旅”への決意でした。

いよいよタイに入国。5年ぶりだ。猛烈なモンスーン(季節風)が吹き付ける Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

<3>出会いと挫折のラオス 人の優しさに押されて進む旅路

活気にあふれる「微笑みの国」

 タイ、ついに私が中学時代を過ごした国に入った。あの頃と同じ空気、同じ空。しかし今回は、自転車を手に入れて、自由に動くことができる。何も出来なかったあの頃とは違うのだと証明したい。

 「微笑みの国」タイはそう呼ばれている。私が中学の時は微笑みの印象はあまり無かったが、それは自分自身が微笑んでいなかったからだった。私から微笑みかければ、必ず笑顔が帰ってくる。タイの人たちは照り付ける猛暑の太陽に負けず、眩しい笑顔を送ってくれる。まさしく微笑みに溢れていた。

度々見かける寺院に寄っては小休憩。寺院の中は涼しくて落ち着く Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
こちらから微笑んでいけば、ほら。微笑みの国でしょう Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 バンコクまでは平坦だ。道は完全に舗装されて、道幅は広い。さらに東風のモンスーン(季節風)に背中を押され、快適な旅路だ。

 タイは仏教国なので、多数の寺院がある。街で僧侶が歩いている光景は懐かしい。私は旅の道中でよく寺院を訪れてきた。寺院では長ズボンをはかなければならないルールがある。他にも人の頭に触ってはいけないといった、日本では良しとされることも他国ではタブーであったり。外に出れば外国人だ。郷に入れば郷に従う。彼らの文化に対して、出会う人に対して謙虚であるべきだと考える。

金色に輝くプラマハタート コーンケーン Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
道幅は広くて夜も快適に走行できるタイの2号線 Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
一緒に食事をした人たち。バンコクまで車で行くから乗せてってあげると言われたが、それは断った。最後くらい、自力で完走したい Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
立ち寄ったワット サラロイにて。真っ黒に焼けた私は本当に日本人か?と疑われた。彼女らと寺院を巡った Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

  バンコクまで残り200kmを切っても、相変わらず猛暑の日々が続く。気のせいか太陽が日本のものより大きく見える。自転車でタイを走っているだけなのに、不思議と気持ちが高揚する。トラックの荷台に座る人達は通り越しに手を振ってくれ、立ち止まればいろんな人が声を掛けてくれる。何の変哲もない平原を走っているだけでニヤけてくるくらい楽しい。油断をしていると野犬に追いかけられて必死で逃げるが、それもまたタイらしい。

 ヨーロッパ旅行中にプミポン国王が崩御されて、一抹の不安があったが心配なかった。元気な国のままだ。

ビエンチャンから700km、この道が私をバンコクまで導いてくれる Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
湖面に映えるワット ナコンラチャシマは美しかった Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

5年ぶりのバンコク

 いよいよ首都バンコクに到着する。数km先まで続く交通渋滞から鳴り響くクラクション、空を囲むように連立する高層ビル、路肩には屋台が立ち並び香辛料の独特な香りが漂ってきて、著しい経済発展のためか都市は活気に溢れている。

 「あぁ、5年前と同じだ―」

 日本から海を越えて遠く離れた地に故郷のような懐かしささえ感じる。私が12歳の時、親の転勤でバンコクに連れてこられた。あの頃は一人で移動することもできなくて、バンコクはとても広くて怖く、手の届かない世界に感じられた。今はどうだろうか。当時感じていたような無力感は無い。今は異国の地に自らの力で立っている。きっと、共に旅をしたBRUNOが自信をつけてくれたのだろう。

バンコクは相変わらず酷い交通渋滞だ。オートバイと共に合間を通り抜けていく Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
バイクは遮断器の手前では待たず、電車が通り過ぎる線路ギリギリで待つのがローカルルール Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 かつて住んでいたマンションにも立ち寄ってみた。備え付けのプール、テニスコート、このマンションの敷地が5年前までの私の最も広い行動範囲だった。

 「帰ってきたぞ、第二の故郷!」

 ここまでの旅路を思い返すと感慨深いものがある。

5年前の我が家からの風景。当時に比べてビルが増えた Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 かつて一緒にバンコク日本人学校で学んだ仲間たちは、日本、タイだけでなく世界中に散らばっている。おかげで夏にヨーロッパを旅している途中で、何人かの仲間に会うことができた。その一人であるユウキとはイギリスで会ったが、偶然バンコクに帰ってきていて再会ができた。ヨーロッパ、アジア、2度の海外自転車旅行中で同じ人に会うとは。

 バンコクの南東にあるサメット島まで二人で1泊2日のバカンスに行ってきた。サメット島は本土からフェリーで20分ほど離れた海に浮かぶ小さな島だ。バンコク在住時に来たことがある。海に入るのはその時以来、5年ぶりだった。

こんなに綺麗な海はまさしく5年ぶりだ。中学を卒業して帰国直前にこの場所で泳いで以来。久しぶりの海水浴にはしゃいでいた Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 トムヤムクン、ソムタム、パッタイ、懐かしいタイ料理をビーチで楽しんだ。ココナッツジュースが生臭くて苦手なのは相変わらずだった。透明な海に浮かびながら二人で思い出話をし、将来のことについて語り合った。お互いに二十歳という人生の節目を迎え、漠然とした希望や不安などを共有し合える友達はかけがえのない財産だ。

 数年前に会ったこの場所で、再会できたこと。孤独な自転車旅の最後に与えてくれたご褒美だ。

トムヤムクンは有名なタイ料理。世界三大スープの一つだ。私の大好物である Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
美しいビーチを眺めながらフレッシュジュースを飲みながら旅の完走を祝福した Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
サメット島をユウキと一緒にサイクリング。沈んでいく夕日は美しかった Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

未知を恐れずに

 タイには日本人が6万人住んでいるといわれている。首都バンコクにある泰日協会学校(バンコク日本人学校)は世界最大級の日本人学校だ。街の至る所で日本語が見られ、日本語が聞こえることも多い。日本人の学習塾だってある。私が当時通っていた学習塾「泰夢」もその一つだ。実は泰夢でお世話になった先生に、出国前に一つお願いをしていた。「私が無事にバンコクへたどり着いたら、生徒たちに向けて話をさせてください」と。

学習塾「泰夢」での報告会。ご参加くださった皆様、ありがとうございました Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 「私自身、当時は海外に住むという体験の貴重さを認識できていなかった。外の世界に目もくれずに過ごしていた日々を後悔さえした。だからこそ、私の自転車旅を通じて少しでもタイや世界のことを知って、興味を持ってほしい。日本やタイのみならず、地球上の他の国々は遠い世界ではなく、自転車でも行けるのだと。今後、社会はグローバル化が進み、日本はますます海外との関係が密になるだろう。海外生活はそれを身近に体験できる貴重な機会だと思うので、何事も恐れずに、外の世界を体験してほしい。知らない世界を知ることが怖くて、暖かい場所に引きこもっていても何の解決にもならないことを思い知らされた」

 未知を恐れず、未知を求め、未知へと挑むことが人生を豊かにする鍵なのかもしれない。私はこれからも未知へと自転車を走らせていくつもりだ。

旅は終わらない

  ヨーロッパとアジア、離れた2つの地域をこの半年間で体験することができた。同じ地球のはずなのに、気候から人柄まで顕著な差があった。こうも違うのか、と戸惑うことも多かったが、その違いが新たな刺激を生んで、たくさんのことを考えさせられた。

帰国後はベトナムのハノイで会った留学生のミン君や、中国やベトナムで通話で通訳してくれた留学生の友達と桜を見に行った。自転車をこぎながらの花見にみんな満足! Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 アルプス山脈を登りきった時の景色には感動した。途上国の村人たちが、都会のような便利なモノが無くても幸せそうに笑っていたことに驚かされた。大勢の人が親切にしてくれたことも嬉しかった。たった3カ月間の旅行中で目まぐるしく変わる人、景色、思考、自転車に乗りながら過ごした時間は20年間の人生において最も有意義だったと自信を持って言える。

 今回もそうだ。親に連れられバンコクで中学時代を過ごした当時は、日本に帰りたくて、日本に憧れていて、二度とここへは戻ってこないと思っていた。それがまさか、自転車で走るとは思いもよらなかっただろう。飛行機や車窓からしか見たことの無い景色は、いざ走ってみると、より一層広く感じた。はるか地平線の彼方へ広がる大地や、どうしたって手の届きそうにない青空を、生身の体で感じることができた。

アルプス・マッターホルンを背景に Photo: Tetsuya MIZOGUCHI
ヨーロッパでもアジアでも、多くの人に助けられた Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 各国でたくさんの人と出会い、地球人の輪の中に居ることを感じた。ヨーロッパを旅して出会った人たちとは、未だに連絡を取り合っている。一生涯の友達だ。そんな出会いがアジアでもたくさんあり、旅を続ける限り出会う人も増え続けるだろうと信じている。自転車旅は孤独との闘いだと思っていたが、そんなことはなかった。走っていれば必ず誰かに会う。それ故に寂しいと感じたことはない。

 今まで旅をしてきて、人に出会い、山に挑み、転んでけがをして助けられ、笑ったり、苦しんだり、泣いたり、這いつくばって軌跡を残してきた。それでも力を入れてペダルを踏み続けられたのは、この世界に「私の轍」を残したかったからだ。それは私の宝物であり、生きた証であり、自らの人生に課した使命でもある。

 「これから何を残せるだろう?」私の旅はまだ終わりそうにない。終わらせない。

ヨーロッパ5500km、アジア2000kmを走破した「BRUNO 700c Touring Drop World Tour」。これからも頼むぞ、相棒! Photo: Tetsuya MIZOGUCHI

 最後に、今回の旅でも大勢の人に応援していただき、助けてもらいました。それが無ければここまで来ることはできませんでした。

 本当に応援ありがとうございました。 

―溝口哲也―

関連記事

この記事のタグ

ツーリング ブルーノ ブルーノで行く!アジア自転車旅

  • 一覧

新着ニュース

もっと見る

ピックアップ

スペシャル

ソーシャルランキング

インプレッション

インプレッション一覧へ

連載