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産経新聞連載「ママアスリート・谷真海の挑戦」から育児と競技、両立できれば トライアスロンに転向し東京五輪狙う谷真海の挑戦

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 2020年東京五輪・パラリンピックへ時計の針が進む。1月3日。パラリンピック・トライアスロン女子の谷真海は、東京都港区のトレーニング施設で新たなシーズンへ向けて本格始動した。

東京五輪に向けて始動した谷真海=東京・芝浦 Photo: Shunsuke SAKAMAKI東京五輪に向けて始動した谷真海=東京・芝浦 Photo: Shunsuke SAKAMAKI

 旧姓・佐藤。04年アテネ大会を皮切りに08年北京、12年ロンドンと3大会連続でパラリンピック女子走り幅跳びに出場した。その名が一躍メジャーになったのは、13年9月の20年大会の招致成功だった。

 ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会に、最終プレゼンターとして登壇し、「スポーツの力」を訴えた。中学と高校で陸上部に所属し、早大では応援部のチアリーダーとして活躍した。大学2年時に右脚に骨肉腫が見つかり、膝下を切断。リハビリ後に知ったパラリンピックの魅力に引き込まれた。

 大学卒業後、サントリーに入社。社会人1年目の04年、初めて夢の舞台に立った。当時はまだ認知度が低く、「もっとパラをメジャーにしたい」と、共感する仲間たちと活動するためのNPO法人の立ち上げにも奔走した。

 思い悩んだ日が嘘のように、20年大会の招致実現で視界のすべてが変わった。日本でもパラリンピックの知名度は一気に進み、スポーツ庁も強化費予算を拡大する。20代を全力で突っ走った自らを振り返り、「次の世代へバトンを渡せた」との思いもこみ上げてきた。

 14年に、招致活動を通じて知り合った1歳上の昭輝さんと結婚し、翌年春に長男が誕生した。妊娠中もスポーツをずっと続けていく気持ちを持っていたが、第一線での現役復帰を必ず果たそうと思っていたわけではなかった。

 自然な形で育児と両立していくことができれば-。出産後のトレーニングの道標となる書籍すら、日本では見つけることができなかった。妊娠中は民間のフィットネスジムも利用できなくなった。海外遠征の際、ベビーカーを押しながらジョギングしていたママアスリートは、日本ではおそらく「赤ちゃんが危ない」と否定されるだろう。

2016年には「東北応援大使」としてツール・ド・東北に参加した谷真海さん(中央) Photo:Kyoko GOTO2016年には「東北応援大使」としてツール・ド・東北に参加した谷真海さん(中央) Photo:Kyoko GOTO

 パラリンピック競技と仕事の両立に悩み、練習時間の確保に試行錯誤を繰り返した日々がよみがえってきた。「もともと環境に恵まれたアスリートなら、競技人生は出産と同時に止まっていたかもしれない」。出産後も競技を続けるアスリートが日本でも当たり前という環境を-。パラリンピックをメジャーへ押し上げようと格闘したときと同じような思いに背中を押された。

 20年大会を迎えるとき38歳になっている。英語の文献を読む中で、走り幅跳びに比べて持久系のトライアスロンのほうが年齢を重ねても対応できることを知り、転向を決断した。1年ほど前のことだった。

 肉体改造は並大抵ではない。出産を通じて落ちた体力を取り戻し、スイム、ラン、バイクの3つの動きに必要な筋力が求められる。本当の試練は始まったばかりだ。

 20年東京大会の招致に貢献し、トライアスロン女子で出場を目指すアスリート、谷真海。母として、企業で働く社会人として3つの顔を持ちながら、夢に向かう「挑戦」を追う。(田中充)

産経ニュースより)

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トライアスロン パラリンピック

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