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「世界中で、こんな自転車なかったんです」“ミスター・ロードマン”が語る累計販売150万台の秘密 ブリヂストンサイクル渡部裕雄さんインタビュー

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 1973年にブリヂストンサイクルに入社し、ロードマンの登場から終焉までを見届けた渡部裕雄さん。「私も今年で64歳。今のうちにいろいろ話しておこうと思って」――そう言って笑う“ミスター・ロードマン”のまなざしは、自転車への愛であふれていた。登場以来、20年以上にわたり累計150万台が販売された伝説的ロードバイク「ブリヂストン・ロードマン」。その開発秘話やエピソードに迫った。

(BICYCLE NAVI 2015年1月号掲載)

渡部裕雄さんは1973年ブリヂストンサイクル入社。商品開発や宣伝広報などを歴任し、ロードマンには1970年代からその終焉まで携わった渡部裕雄さんは1973年ブリヂストンサイクル入社。商品開発や宣伝広報などを歴任し、ロードマンには1970年代からその終焉まで携わった

スポーツカーを参考にしたチョイスシステム

 「私はロードマンの産みの親ではないですけれど、育ての親だという自負はありますね」

 そう語るのは、ブリヂストンサイクルの渡部裕雄さんだ。1973年に同社に入社し、現在64歳。“ミスター・ロードマン”と呼ぶべき人物だ。

チョイスシステムやシステムパーツなど時代によって呼び名は異なるが、さまざまなパーツやオプションが選べるのがロードマンのウリだったチョイスシステムやシステムパーツなど時代によって呼び名は異なるが、さまざまなパーツやオプションが選べるのがロードマンのウリだった

 1974年から始まるロードマンの歴史において、デビューから数年後に製品に関わることになる渡部さんだが、もちろんその誕生にも立ち会っている。ロードマンは、なぜ、どのようにして産まれたのだろうか。渡部さんは意外な商品の名前を出した。

 「70年に発売された、トヨタ・セリカは、エンジンやトランスミッション、内装の組み合わせを自由に選べるフルチョイスシステムというものを用意していました。それにヒントを得て、ユーザーがベースとなる自転車を選び、パーツをチョイスして、自分だけの1台を作り上げる自転車として登場したのがロードマンなんです。そのベース車自体は、実はブリヂストンが発売していた複数の既存車種が元で、それらを“ロードマン”という名の下に集約したというわけです。少なくとも量産の自転車では、今までそんなものはありませんでしたから」

 あらためて初代ロードマンのカタログを見ると、確かに「チョイスシステム」という文字が踊り、さまざまなパーツの写真が掲載されて、ユーザーの夢を掻き立てるような構成だ。

「ヨンキュッパという価格には、こだわりがありました」

 ロードマンは、本格的なスポーツ自転車の世界で行われていた売り方・買い方を、大衆レベルに落とし込んだ自転車だった。渡部さんは言う。

 「オーダー自転車の世界を、量産の一般車に持ち込んだのがロードマンです。マニア向けのショップではなく一般のショップでも、ユーザーがパーツを選んで自分の1台を組み立てていくということを可能にしました。その見せ方も、マニア向けのショップであればショーケースの中にパーツを並べておくところを、ロードマンでは専用パネルを用意してパーツを見せていました。オーダー感覚の買い方を広めるという意味では、貢献したと思います」

初代ロードマンのカタログに掲載されていた「R-3」。27×1 3/8のタイヤを履いたこのモデルが、後の商品展開におけるベースとなる初代ロードマンのカタログに掲載されていた「R-3」。27×1 3/8のタイヤを履いたこのモデルが、後の商品展開におけるベースとなる

 ただ、登場当初のロードマンは、ベースとなるモデルは複数用意されていたものの、フレームサイズが限られていたため、じつはそれほど選択肢がない、という問題もあった。

 「77年よりユーザーが選びやすくするために車種を整理統合したのが私です。そのときドロップハンドル、多段変速、27インチで太め(27×1-3/8)のタイヤ、そしてベース価格がヨンキュッパという、ロードマンの基本形態が出来上がりました」

 27×1-3/8というタイヤサイズは、最近はあまり馴染みがない。一般的なシティサイクルが26×1-3/8。もちろんこのサイズのタイヤもロードマンで採用されていたが、メインとなっていた27×1-3/8は、径が一回り大きいものだった。

 「この大きなタイヤこそが、当時の少年たちから見ればまさに大人の自転車という印象でした。ドロップハンドルのかっこよさと相まって、憧れの対象だったんです」

渡部さん秘蔵の一品、なんと初代ロードマンのロゴが入ったネクタイだ。ユーザー向けか、優良販売店向けのノベルティではないかと言うが、詳細は不明渡部さん秘蔵の一品、なんと初代ロードマンのロゴが入ったネクタイだ。ユーザー向けか、優良販売店向けのノベルティではないかと言うが、詳細は不明

 タイヤの径だけではなく、太さも重要だった。ロードマンが誰のための自転車だったのかを如実に語る部分だ。

 「ロードマンは入門スポーツ車のような位置付けで登場しましたが、中高生に受け入れられました。もちろん彼らもサイクリングに行きますが、メインの用途は通学です。マニアのスポーツ車のように繊細に扱われるというわけでもありません。通学の途中にパンクしたら、困ってしまいます。実用性を考えて、1-3/8を採用しました」

 ベース車で“ヨンキュッパ”という価格も絶妙だったと言えるだろう。

 「どこまでなら払っていただけるかと考えて出てきたのが、ヨンキュッパという価格です。鉄やステンレスのリムを使うなどしてコストダウンしていますが、実用スポーツ車としてこのレベルのものに乗ってもらうことで、スポーツ車のレベルを底上げすることもできたと思っています」

 渡部さんの話から、ロードマンは少年たちの憧れを、彼ら(や彼らの親)の手が届く範囲に落とし込み、そのライフスタイルに合った実用性を持たせた自転車であったことがわかる。

 「結果として、世界を見ても例がない、日本オリジナルのスポーツ自転車ができあがりました。しかもトータルで150 万台売れたのです。世界中を見ても、こんな自転車はありません」

カマキリの登場とブームの終焉

 渡部さんが70年代後半に車種整理を手掛けて以降、ロードマンは飛ぶ鳥を落とす勢いで売れ続けた。81年から87年にかけては7年連続で10万台上が販売されている。その間も、ロードマンは商品力を高めていた。

 「ロードマンが大ヒットモデルになると、学校の駐輪場がロードマンだらけという現象が起きます。そこで、差別化のためにカラーに力を入れたりもしました。車体はそう簡単にモデルチェンジできませんが、カラーなら毎年変更できます。また、バーテープやブレーキワイヤーのカラーを選べるようにするという、当時の上級モデル・ユーラシアでやっていたことをロードマンユーザーに提案するといったことも行いました」

渡部裕雄さんはロードマンのほか、ジュニアスポーツ車やカマキリ等を手掛けた。また、本人は「誰も覚えていない」と言うが、「アンカー」の名付け親でもある渡部裕雄さんはロードマンのほか、ジュニアスポーツ車やカマキリ等を手掛けた。また、本人は「誰も覚えていない」と言うが、「アンカー」の名付け親でもある

 ロードマンという、自分たちに手が届くかっこいい自転車の存在を知れば、自分も欲しくなる。ロードマンが売れる商品だとわかれば、販売したいと思う販売店も増える。そして、「ウチでもロードマンのような自転車を!」と追従するメーカーだって増える。こうして、ロードマンとそのフォロワーがマーケット自体を成長させて行く。

 渡部さんは、ロードマンの販売のピークを「82年と85年」と話す。しかし、ふたつのピークは意味が違った。

 「82年の頃には、車種がだいぶ整理されています。タイヤの外径は、普通の自転車より一回り大きい27インチサイズで、太さは実用性を考慮し27×1-3/8に集約していきました。しかしその後、他社から多くの追従商品が出てきます。その対抗策として、ロードマンではコルモやスーパーコルモといった上位モデルを投入します。また、ロードマンはブリヂストン独自の変速機『クリマチック』とギヤクランクを使っていたのですが、汎用品の変速機とギヤクランクを採用したモデルも追加するなどしました。バリエーション展開によって販売台数を伸ばしていたのが、85年なのです」

 実際にカタログを眺めると、80年代半ばにラインナップが突如肥大化する。もっとも、大ヒットモデルとしての勢いは保っていたし、それだけ売れるとなれば、各パーツメーカーがロードマンのために専用設計したパーツを用意したりもした。ロードマンが、業界全体を牽引していたのだった。

 しかし、80年代に同時進行でもうひとつの商品が育っていた。

 「上司から、ヨーロッパのパーツを使ったロードマンを開発しろと言われたのですが、何か違うな…と。そこで私は人々の生活に目を向けました。そのとき気づいたのが、ファッション性です。ファッション性を重視した商品として私が開発し80年に発売したのが、あの“カマキリ”でした。ニッキュッパのカマキリは、ヨンキュッパのロードマンに替わって、通学車として定着していくことになります」

 ドロップハンドルとは正反対の、チョッパーハンドルを備えるカマキリの登場。皮肉なことに都市部を中心に、少年たちが欲しい自転車はロードマンからカマキリへと移っていった。最終期の90年代半ばには、通学車の1モデルという位置付けとなり、98年をもってひっそりと姿を消すことになるのだ。渡部さんは振り返る。

 「ロードマンが売れた時代は、自転車が憧れの商品でした。ヨンキュッパという価格は当時のスポーツ車としては安価でしたが、簡単に買える金額でもありません。憧れの商品だからこそ、ヨンキュッパという金額を払っていただけたんだと思います。今、自転車が少年たちの憧れかというと、どうでしょう。80年代のライバルはファミコンでしたが、今ならスマホ。そのお金、ライフスタイルに対して自転車に何ができるか。ソフトの提案が必要でしょうね」

文 須貝弦・写真 清水惣資

須貝弦(すがい・げん)

自転車に関する情報を集めたブログ「Cycling EX」の中の人。クロスバイクで街を走り、マウンテンバイクで里山を散策するのが楽しみ。

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